2012年06月14日

刺されても許したい?+死について

最近アメブロのチャネリングメッセージばかり書いてて、こちらを疎かにしていました。
結構沢山イベントや気付き等があって、色々かきたいって思ってたのに元来の不精でさぼっております。

4月にはラヴィングタッチという施術方法のイントロダクトリーを受けたり、5月にはラヴィングタッチの施術を受けさせていただけたり、
5月下旬から6月上旬にかけてはスピーディークリアヒーリングのセミナー再受講(4回目?)とスピクリライトボディコースを受講したりしてきました。

そのうちそこらへんの記事も書けたらなぁと思います。忘れないうちに・・・


さて、今日の夢日記ですが、今日ちょっと前日ゲームしすぎて寝不足もあってお昼寝してたんです(オイオイ)

そしたらそこで観た夢が色々何か考えるようなことだったので記事にしました。
初めの方では、自分に天使のような羽根があって空が飛べるみたいでしたが、
友人を抱えて飛ぼうとしたら重くて全然上手に飛べないという変にリアルな夢でした。

そこから気付くと私は違う友人が開催している演劇のようなパフォーマンスのようなものを見に来ていました。その友人は今でも仲が良い友人の1人ですが、夢の中では今の仕事とは全く違うことを表現していて、
その上映を見ているとものすごく引き込まれて夢中で見ている自分がいました。
あっという間に90分程がたったころ、観客の男性が長すぎるといきなり怒り始め暴れだしました。
そして上演していた友人に襲い掛かろうとしました。
ここら辺の夢の内容が既に夢なのか覚醒してからの自分の妄想なのかも判らない狭間みたいな意識状態だったのですが、私は襲われてる友人を庇って相手に刃物で背中を刺されてしまいました。

でも夢の中なので痛みも衝撃も苦しみも無く、刺されたというビジョンだけを感じていました。
そしてその刺された状態の時に、私はとても穏やかなスローモーションのような状態の中にいました。
相手に怒りを覚えるのでもなく、辛さや痛みを感じるのでもなく、死への恐怖を感じることもなく、
ただ穏やかな気持ちの中で相手のことをお互いの為に許したいと感じてる私がいました。

彼がたとえ生前あれは事故だ自分は悪くない、と己を偽って罪を否定したとしても、
彼の死後、彼の魂が長い間自分で自分を裁くことになるのならば今この場で私が相手を許し、
今その時、その場で己の罪と向かい合う勇気と己を許すための人生を選べるような選択肢を与えたい。
相手の魂の為に、という感情?でした

実際はその夢の中の一瞬の時間にそんな感じの感情が沸き起こったという感じだったのですが、
言葉に直すとこんな感じ・・・?かなぁ

起きて今考えてみると、え〜実際は無理だろう・・・とそんな状況になったらそんなふうに思えるわけない、
と思ってる自分がいるわけです。
夢の中で痛みも苦しみも死への恐怖も無かったからそういうふうに思う事ができたのかも?
と思いました。

もしかしたら肉体がない魂の意識のみ(っていうのかな?)の状態だったのなら、こういう風に思うのかもしれないけど、実際私達は肉体を持ち、痛覚があるわけで、その制限のある肉体を持ちながらこういう意識がもてるようになれるのか?という問いかけには、私はまだ答えることが出来ません。

もしかしたら生きながらにしてこういう境地になるために愛を学びながら生きているのかもしれません。

とにかくお昼寝しただけなのに、とても不思議な体験をしたのでした。
夢の中の自分は死にたいする恐怖もなくて、それってとても重要なのではないかとも思いました。
死への恐怖が自分の純粋な意識を歪めている部分がとてもあるように思うのです。
夢の中ではそういう恐怖がなかったからこそ純粋に相手の為を思う感情がわきあがったのではないかと。


私が死というものに触れる瞬間、意識する瞬間があります。
私は今、パニック発作なのか低血糖障害なのか気圧の変化に弱いのか、
とにかく自律神経が乱れてるからなのか、原因が特定できませんが
よく発作を起こします。
最近では大分死への不安は減りましたが、自分を全然判っていない頃に発作が起きた時には
発作を起こして死ぬんじゃないかという不安と恐怖がとても酷い時期がありました。
死ぬと自分自身の消滅、何も残らない、全く意味の無い人生、無価値感等々・・・
とにかく理由のわからない恐怖しかありませんでした。

スピクリを伝授してもらってから約2年たちますが、こういう学びをするようになってやっと理由のわからない不安というものが無くなってきました。
恐怖を感じるのは自分がそれを理解していないからだ、向き合っていないからだということも判りました。
だけど未だにやはり死というものに関してはよく判らない不安があるのです。

だから最近死について自分自身が知るために「チベットの生と死の書」を読み始めました。
死というものについてもっと知ることが必要なのではと感じたのです。
出来れば死についてなんて見たく無いし知ったら早く死が自分の元へきてしまうのではないかとか、
辛いことを見たくないって気持ちがとても強かったんだと思います。
だけどいつか誰でも来るもの。
それを何の心の準備もしない状態で迎えたらどうなってしまうんだろう、
と何度も発作を起こす経験を通して感じ始めたのかもしれません。
とにかく気になりだしました。

色々な本を読んだり考えたり感じたりして、自分なりの死の受け止め方を考えていこうと思います。

と、そんな話を前日に母にしたら、
貴方がその年で死ぬことについて考えてるなんて何だかお母さん怖いわ、
なんて言われてしまいました。

だけど話してたら、同じような本(チベット死者の書)を母も私と同じ年代で買っていたのです。
30年位前に買ったけど読んでないそうですが、買ったということは
読みたいと当時思ったのでしょう。
私と同じ年代の頃に同じような本を買ったなら今私が同じ本を買って読んでるのも
不思議じゃないじゃない、なんて笑ってはなしたのでした。

posted by えみ at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢日記