2013年07月13日

夏越しの祓と私の自転車

先月の夏越しの祓の時のことです。

私は夏越しの祓というものに参加したことが今まで一度も無かったのですが(知らなかったので)
友人がつぶやいてるのを発見して、近くにそういえば茅の輪の写真が載ってる神社があった、
と思い出し、思い立って自転車で向かいました。
不思議なのですが、何だかこの夏越しの祓に行かないといけないというか、凄い行きたい、と
感じて身体が抵抗なく自然に動く感じだったのを覚えています。


現地へ着くと人がだれもいません。
あれ…?と思い神社の人に聞いてみると、開始は3時からで今は4時半、丁度終わったところだよと言われました。

ガーン…

しょんぼりしたけど、しょうがないので茅の輪だけ八の字にくぐって(これも教えて頂いた)神社にお参りをしてきました。

そして帰る途中に隣にあった自転車ショップで自転車の空気を入れて帰ったのです。

空気を入れて走りやすくなった自転車でしばらく走っていると、
途中で

パーンッ

って発砲したみたいな大きな音を立てて、いきなり後輪が破裂しました。
びっくりして降りてみると、後ろのタイヤがペッちゃんこ。
あー・・・空気入れすぎちゃったのかな・・・
と思いながら自転車を引いて空気を入れた自転車屋さんまで戻ることにしました。
ちょっと距離があったので、タイヤパンクしてるけど、乗れないかなぁ?なんて思って
試しに乗ってみたのがいけなかった・・・
何と前輪も同じように

パーンッ

って破裂してしまったのです…
そりゃもう恥ずかしかったです。
側をすれ違ってた人達もびっくりしてて申し訳ないやら恥ずかしいやら。

結局両方破裂してしまった状態で自転車ショップに持ち込み、事情を話しました。

タイヤも両方再起不能になってしまっていて、交換するとなると7000円以上かかるということでした。
今乗っている自転車はもう大学時代に通学の為に買ったもので、15年位使っていたものです。
結構使い込んでいたのでタイヤ自体も何度もパンク修理したり、タイヤ自体もかなりヒビが入っていたので、次にパンクしたら交換かなってお店の人に言われてたくらいでした。
そんな経緯があって、タイヤ交換になったら次は電動自転車にしようと決めていました。
だけど今の自転車に愛着もあったので、壊れて再起不能になるまでは・・・と思っていたのです。

そしてその日が突然やってきたのです。
今まで空気入れても全然そんなこと一度もなかったし、両方破裂とか予想すらできませんでした。

この出来事で、この子とは今日ここでお別れなんだと思いました。

電動自転車にしたいことを店員さんに伝えて、特性やバッテリーの事などの説明を色々お聞きし、
ちょっとだけ外で試乗させて頂きました。
本体は30キロ近くあるから、うまく乗りこなせるの?と不安だったのですが、
乗ってみるとあまりの軽さにびっくりしました。

そして壊れてしまった自転車は家に連れて帰るにも距離がありすぎたので、
そのお店で廃棄処分にしていただくことになりました。

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名前を桂花(ケイカ)と名付け、大学時代には大学で自転車を洗ったりと色々大切にしていました。
15年たつとサドルやハンドルのゴム部もかなり劣化してベタベタすることもありました。
錆も結構広がっていたり、すぐパンクしたり空気がぬけてしまったりして、
最後の方は平地でもこぐのがとても重くて大変ではありました。
古すぎて誰も盗む人いないだろうって感じだったので、
盗難に関してもまったく気にしたこともありませんでした。
そんな適当な扱いだったけど、それでも今まで私の足として頑張ってくれました。

そして夏越しの祓のこの日に私と自転車にとって印象的な幕引きとなりました。

大学時代から引き継いできた象徴のひとつであるようなこのオレンジの自転車を
この日に手放すことになって、悲しんだり名残惜しんだりする余裕も無くパっと手放してしまいました。

多分タイヤ破裂も片方だったら直して今も使い続けてたかもしれません。
片方だけ壊れた状態で廃棄することにかなり罪悪感があったと思います。
そういう悩む隙も与えられずに私や周りの人たちが怪我をすることも無く、見事に壊れてくれたんです。
もう見事、としか言いようがありませんでした。

何故この子をこのタイミングで手放すことになったのか、
理由はわかりません。
だけどそういうことなのだろうと、何となく納得しました。

桂花さん、私が大学生の時から今まで、ずっとずっとありがとうございました。
大切にしなかったこともあったり、乱暴に扱ったこともあったのに、こんなに長く
一緒にいてくれたことに感謝します。
私の足として色んな場所に連れて行ってくれてありがとう。
色んな思い出をありがとう。

そして、お疲れ様でした。
posted by えみ at 18:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の気付き

2013年07月09日

シータヒーリングのセッションを受けてきました、続き

先日シータヒーリングのセッションを受けてきましたという日記を書きました。

今日はその続きです。
あの記事を書いてからまた色々変化したことがあったので追記としてそこらへんも書こうと思います。

セッション当日、私は昼から出かける準備をして外出しました。
それまでは調子良かったのに、出かけるとなった途端、
何だか少し息苦しい感じになりました。
これも抵抗なのかしら?
と、思いつつ自転車をこいでセッションルームへ到着。

みのりさんはすでにいらしていて、すぐにセッションを始めました。
後で聞いたのですが、セッションルームに来た時には、すでに私と一緒に
何か来ている、と感じていたそうです。
もしかしたら息苦しいと感じたのはその存在がいたからかもしれません。

セッションのメインは、パニック発作に関する内容でした。
詳しいことはもう忘れてしまったのですが、どんどん掘り下げをしていきました。
私は聞かれることについて、自分がどう感じているのか、
どういう感情があって、何を思っているのかということを感じることに集中しました。
頭で考えるのではなく、掘り下げる時に浮かんできた情景や感情、感覚をどんどん伝えていきます。
そしてわかったのは、私の中にあったその思考はどうも過去世らしき男性のお坊さんだということでした。

彼の生きていた環境は、とても貧しく、生き残るためには
食べ物等を他者から殺したりして奪わないといけないような、
そんな過酷な世の中だったようで、彼の両親や家族はそれらの犠牲になって
殺されてしまったようでした。
少年だった彼は、お寺に逃げ込んだか引き取られたかして、お寺で生活するようになりました。
そこで彼が感じていた悲しみというものがとても大きくて、
生きていく為に奪ったり殺したりする仕方がなかった世の中に対してとても悲しんでいたようです。
何故家族で幸せに暮らすという当たり前の幸せすらかなわないのだろうと嘆いていました。

私はその出てきた感情や感覚や情景を話しているうちに、自分が経験したわけでもないし、
生きるために人を殺すなんて想像もつかないはずなのに、とても悲しくて悲しくて
号泣してしまいました。
でも彼の感情は絶望や憎しみではなく、ただ世間に対しての悲しみでした。

彼はその後お寺の結構地位の高い僧侶になったようでしたが、その悲しみが癒されることは
無かったみたいでした。
寺内でも常に孤独感があり、仲間にも心を赦すことが無かったようですし、
どうも結婚することも無かったみたい。

そして58歳頃に亡くなったそうですが、彼にはその後やりたいことがあったみたいで、
そのやりたいことというのが、私がいつか60歳位になってからやりたいとうっすら思っていたことだったのです。
これにはびっくり。
私がやりたいって思ってたのは、過去から持ち越したことを思い出しただけだったのかと。
だけど、私がその60歳位になったらやりたいって思っていたことを想像してみると、
何とも楽しくない感じで、ひたすら真面目に真摯にそれを伝えている映像がみえるのです。
受けている人達も真面目に真摯に受けてる感じ。楽しいとかではないのです。

私が伝えていきたいと感じていたのは、アメブロの記事に書いたことがあるのですが、
「死」というものについて、色々伝えていきたいという思いでした。
扱う題材が死なんだから楽しいもないかもしれませんが、こう思ってたのは過去での私の思いも
かなり影響していたのだと分りました。
かなり私がやる使命みたいな面もちに近かった気がします。
学びは苦しいものだ、という思考パターンも入っていました。

そして一連の掘り下げをやったあと、全てを癒してもらい、私は自由に生きてもいいのだと知りました。
ヒーリングをしてもらっている時に、感じたことは、
自分は結構完璧主義者みたいな側面があったのだということ、
そして、人に教えるとか、本当は柄じゃないんだよね〜って思いでした。

私がどういう方法で伝えたり表現したりしてもいいのだと、自分の自由にしていいのだと分りました。


その大きなテーマの後に、病気に関連するもろもろの思考パターンも続けて掘り下げしていきました。

次に出てきたのは病弱で人の世話にならないと生きていけない女性の人生でした。
彼女は生きているとき、世話をしてくれる唯一の存在以外からは、家族からすらも疎まれていたようでした。
それが罪悪感等になっていたようです。
そして彼女が死んでから知ったことがありました。
それは病気は自分や周りの成長の役に立っていたということでした。
そして彼女はいつか違う人生では、生きている時に病気が役にたつことに気づきたいと
思ったようなのです。
そしてそれに気づいた後、自分がどう生きていくかを知りたかったという感じがしました。

そこまで掘り下げてきて、今の自分の現状そのものだと思いました。
病気になり、死への不安と恐怖と罪悪感で一杯になっていた時期、
ヒーリングというものを知り、人というもの、自分というものが何なのかを知り始めた時期、
愛が何なのか、学びが何なのかを知り始め、そして自分と向き合うとはどういうことかを
知りはじめ、自分を愛するとはどういうことかを知り始めた今。

私は今丁度その過渡期にいるのだと分りました。
辛い辛いと疎んでいたこともあるけれど、この病気は私にとって必要な学びの過程であるのだと、
今回のセッションで改めて思いました。
そして過去世(かどうかは実際は分りませんが、自分の今の人生以外の過去での経験という感じとして捉えてください)での思い、経験がこれほどまでに今の自分に引き継がれていたのだということにも
驚きました。

今更ですが、過去世っていうものが本当にあるのかも、と改めて実感した気がしました。
だって、今の私が経験したことがない、ありえない体験の感情を感じて深い悲しみから泣くなんて、
泣いてる本人も不思議でしたもの。

それ以外にももう少し引き抜きや置き換え、掘り下げ等をしていただいてセッションは終了しました。
2時間半の長丁場でした。
Minoriさん、こんな長い時間ありがとうございました。


そして、この日を境にびっくりするくらい発作が起きなくなりました。
ほぼ毎日あったみぞおちの重さや緊張も無くなり、出かけることが苦痛ではなくなりました。

セッションの次の日のアルバイトなんて、出かける途中で、こんなに軽やかな気持ちで
仕事に出かけられることがありがたくて、うれしくて、泣きながら会社に向かいました。
その後6月一杯、約10日間程、病気が治ったのだと思いました。

それくらい調子が良く、嬉しくて幸せな日々だったんです。
これならアルバイトを精力的に続けられる、そう思って7月からは
週2日に増やして通えることになったのです。
嬉しかったし、働いたお金でシータヒーリングのアナトミーも
いつか受けられる!と希望が見えてきました。





ですが、7月に入った途端、また発作が戻ってきてしまったのでした。

ショックでした。
今までの積み重ねてきた自信も無くなりました。
泣きました。

長くなったのでこのはなしは次の記事にしますね。

読んでいただいてありがとうございます。
posted by えみ at 11:21| Comment(0) | TrackBack(0) | シータヒーリング