2013年08月23日

シャドウを受け入れるということ

昨日の日記の追記のような感じになります。


そんな風にほんの少し不安定な体調で7月、8月の日常を過ごしていた時に、自分が自分の聖域となるという
考えに突然思い至りました。
もしかしたら、セッション後にまったく発作が起きなくなって、そのまま発作が戻ることなく完治して
しまっていたら、このように思い至ることはなかったんじゃないかと思います。

あの7月初めの発作を起こしたことで私の今まで培ってきた、自分が成長し学び、
自分自身と向き合ってきているという自信は一旦砕け散ったように感じました。
もしかして向き合ってきたとか、学んだと思ったのは、私の思いこみであって
全て間違っていたのか?と自信が持てなくなりました。

だけどその日の内に神社で自分のそんな思いを全部吐露して号泣したことで、
何だかすっきりしたことを感じました。


数日後のバイトの日も、やはり行く前に予期不安で強いストレスがかかり、外出する前から
発作が起きました。
そこで私はあることを実行してみようと考えました。
それは神社で泣いた時みたいに、木の代わりに自分で自分の話を聞くというものです。

頓服の薬を飲んでから、会社の先輩に発作を起こしたので午後から出社する旨を連絡し、
部屋で横になって号泣し始めました。
ひたすら泣きながら、
バイト行きたくないー!
発作が苦しくてもういやだ!
通勤なんてもういや!
何で私だけこんな通勤で苦しい思いをしなきゃいけないんだ
等など…

その時に感じてたことを声に出してひたすら自分に訴えたんです。
私は自分が苦しことを訴えている内容を、ただただ静かに何も口も挟まずに
聞いているという感じでした。
傍から見ると一人で泣きわめいてるだけなんですが、
自分自身としては、これは自分と向き合っているつもりなのです。

普段考えていることはやはり前向きだったり感謝だったり人の為になりたいとか、
成長の為にこの苦しみも必要な学びなのだとか、そういうことばかりが思いとして優先されています。

だからバイト行きたくないの!苦しいの!辛いの!
そういう感情にたいして、
でもね、これは自分で選んだ学びなんだよ、みたいな感じだったのです。

ハイアーセルフの自分が、インナーチャイルドの自分を諭しているっていう感じでしょうか。
でもそれを諭すのではなく、本当に今自分が感じてることをただひたすら受け入れることにしてみたんです。
私は本当はそう感じてるんだね、そうだったんだね、うんうん・・・って。
途中で口を挟まずにジャッジせずただひたすら聞いているだけ。

そんなことを1時間程してたら、気づいたら発作が治まっていました。
薬も効いたことは間違いないんだけど、それ以外にも心がとてもすっきりしている感じがしました。
普通は発作が起きてしまうと、薬を飲んで落ち着いてもやはりダメージがかなり大きくて、
1日寝込んだりしてしまう事も多いし、収まっても怖くて外出なんてできなかったんです。

それがその日はすぐにそのまま仕事に出かけることが出来ました。
バスと電車を乗り継いで2時間。
ちゃんと会社にいけました。


この経験から、私は自分自身が本来その時に感じてる感情をジャッジせずにただ自分で受け止めることが
とても重要なことなのかもしれないと、実感したのです。

そんな試みを具合が悪くなるたびにやっていました。
すると私のその時のインナーチャイルドのような感情は大体怒っているんです。
何でこんなことするんだ!嫌なのに!だって本当はこう思ってるじゃん!なんでそんなことするの!?
って。
そんなことをしばらく続けていたある日、
毎日ブログを拝見している、とくもりけいこさんという方の日記を拝見して、
ああ、私はこれをやっていたのか、と思ったのです。
それが、シャドウを受け入れるということでした。

とくもりさんの参考記事はこちらになります
シャドウと融合

私は私の方法で、自分のシャドウと呼ばれる感情と向き合い受け入れようとしていたんだなぁということが分りました。
そしてそれがとても重要なことだということも理解しました。
だって実際それをやることで身体も心も楽になったのですから。

この記事を拝見するまで気づかなかったのですが、インナーチャイルドと言われるものと、
シャドウと言われるものは、とても似た性質、もしくは同じなんじゃないか?と思いました。
どちらも自分が無意識に置き去りにしていた感情ですから。

でもその置き去りにした感情も私の一部であり、
本来の自分自身に戻る為には、そういう置き去りにした感情も受け入れる必要があるのですよね。

そんなことを7月上旬の発作では学んだのだと思います。

そういうことに気づいてから当時の事を振り返ってみると、
あの発作はなるべくしてなったということだったんだなぁと思います。
どんな出来事にも無駄なことはひとつもない、ということですね。

私なりのシャドウを受け入れるという方法が、少しでも読んで下さった方の役に立てばと思い
書くことにしました。

自分の本来の感情をただ受け入れることは、親が小さい子供の話を、横槍を入れることなく
根気よくじっと子供が満足するまで静かに聞くことに似ています。
根気よく、横槍をいれることなく、ただ静かにじっと心の声を聴いてみてください。
心が訴えていることにたいしての真偽や善悪等は関係ありません。
ただ貴方自身が貴方の本心に耳を傾ける、それだけでいいんです。

出来れば一人になれて、思う存分泣ける場所でやるといいですよ!
posted by えみ at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の気付き

2013年08月22日

シータヒーリングのセッションを受けてきました 続き2

セッションを受けたその後の経過になります。
前の記事の続きでもあります。

私が自分自身の聖域になると思い至ったきっかけになったのは、
練馬区にある神社の御神木と対話した時でした。


その日、7月に入ったばかりの頃にバイトの出勤途中で発作を起こしました。
途中で電車を降りて、その場に居たくなくて練馬まで戻ってきてしまいました。
30分以上たっても発作の不安がおさまる様子が無く、泣く泣く出勤を断念して、
そのまま練馬にあるかかりつけの心療内科に診察に行きました。

医者に行ったのはいいけど、気功で気の循環等を整えてくれるだけで、
私のバイト先へ行けなかったショックや、発作が起きたことでの外出への自信喪失などについては
軽く話す程度で時間が終わってしまい癒されませんでした。
発作を起こしたことがほんとうにショックで悲しくて、その苦しみを聞いてもらいたいのにそれはしてもらえなかった。

落ち込みながら駅に向かう途中で、ふと神社に行こうと思いつきました。
そして薬で大分落ち着いてきてはいたけれど、ショックで胸が締め付けられた苦しい状態で
ひたすら我慢して神社へ到着しました。

鳥居をくぐって神社の御神木を見た途端、
何とも言えない空気というか、例えるならば母親に迎えられた子供みたいな気持ちになったというか、
私は涙が抑えられなくて木の横で号泣してしまいました。

泣きながら心の中でひたすらショックだった今日の出来事をいいました。
変な話なのですが、医者に聞いてもらえなかったから私は近くの神社の御神木に言いたかったことを
話し続けたんです。
シータヒーリングでセッションを受けて、しばらく発作も起きなくて気持ちも明るくなってきてたのに、
もう通勤する自信が持てないことも、苦しくて辛いことも、医者が自分と向き合ってくれなかったショックも、全部全部話しました。
そして落ち着いたころに御神木が私に話しかけてくれました。

辛くて誰にも言えない時、私が貴方の魂の安らげる場所となりましょうっていってくれました。
本当にお母さんと話してる子供みたいな感覚でした。
そしてこうもいわれました。
貴方が今までやってきたことは決して無駄ではない、
少し躓いた位でなんですか、貴方にはこれからもずっとチャンスはあるのですよ、
と言われました。

他にもセッションを受けてエネルギーが変わっても、それが肉体に反映するまでには
少し時間がかかるのだともいわれました。
他にも色々話をききました。今の感情をしっかり味わうことが今ここで出来ることです、とか、
自分の周りに境界線を作る方法とか。

会社を安らげる場所にするにはどうしたらいい?って質問には、
近くの神社や会社の神棚の神様と交流を持ちなさいっていわれました。

最期に木に泣きつくなんて変かな・・・?と聞いたら、
他人の評価よりも、貴方がどう生き、どう感じ、どう学ぶかが大切ですよって言われました。

そんな対話が終了した時、気づいたら発作はすっかり収まっていました。
それからしばらくはやはり体調が安定しませんでしたが、最近になって大分発作は落ち着いてきました。

まだ苦しくなったり不安になったりすることもあって、鞄の中も食べ物と水を常に持ち歩いているけれど、
この前ふっと、
あれ?もしかしてパニック障害、治ってる?って思ったんです。
よく分らないけどそう思った瞬間がありました。
もしかして苦しくなるのも余韻みたいなもので、本当はもう病気自体は治ってるのかも、と思えたのです。

少なくとも会社にバイトに行くこと自体が前よりも楽になってきました。
会社の近くの神社にも出社する前に必ず寄って、ここまで出勤して来れた感謝とご挨拶をしたり、
会社に一人だった時にこっそり会社の神棚の神様にご挨拶もしました。
慣れてきたせいもあると思いますが、最近は会社での居心地が結構よいのです。
安心して仕事が出来るという感じです。

そんな風に発作を起こした後も外へ出ていけていることに感謝するばかりです。
この恵まれた環境に感謝します。
私と関わってくれている人たちに感謝します。

ありがとうございます。
posted by えみ at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の気付き

2013年08月21日

自分が自分の聖域となる

タイトルの

「自分が自分の聖域となる」

という言葉、ある時ふとそこに思い至りました。
私はパニック障害と診断されてから、これまでいつ発作がおきるかとずっと不安を抱えて
生きてきました。
ほぼ毎日みぞおちの辺りが重くて息苦しくて、出かける時はいつ起きるかと不安で、
頓服用の薬は必ず携帯し、補食用の食べ物飲み物を山ほど外出時には持ち歩き、
最近はいつも鞄が物凄く重いのです。
私はこの鞄の重さは私の不安の重さだと思っています。
まだ未だに鞄は軽くならないのですが、最近ほとんど発作が起きなくなってきました。
そして思い至ったことがありました。

それが、
「自分が自分の聖域となる」ということでした。
私は発作が起きると、その場から逃げ出したくなるのです。
落ち着かなくてその場に居たくなくなる。
どこかに帰りたくなる。
突然物凄い孤独感に襲われて不安が膨らむんです。

そう感じた時に、何で私はここから逃げ出したいのだろう?と思ったんです。
勿論その場のエネルギーが自分に合わなくて、その場から離れた方がいいという
ケースもあります。
それ以外になんで家に帰りたいと思うんだろう?
家に帰ったって、発作がすぐ治まるわけじゃないし、確かに安心はできるだろうけど
休むことならどこでも出来るのでは?なんで家に帰ることにこだわるのだろう?って。

そういうことについて思いを巡らしたりしていると、ある時ふっと、
もしかして自分自身が自分にとって一番安心出来て安らげる場所なら、
私はどこにいても大丈夫なんじゃないか?と思ったのです。
本当は家などの場所とかは関係なく、自分自身を信頼しきれていないから、
安心できる場所を外に求めているんじゃないのか?
そう思ったんです。

そうだとしたら、もし自分自身を真に理解して、なんでも自分自身が受け止めてあげられて、
世界の全てが敵にまわろうとも私自身は私の味方であり、私を全面的に愛してあげられたら、
私自身を真に信頼できたなら、私はどこにいっても何をしてもずっと安心な気持ちでいられるんじゃないのか?って思ったのです。
その安心な場所ならば、自分の持てる力を全て使えるようになるんじゃないか?
むしろ本来の力以上の力も発揮できるんじゃないか?とさえ思うのです。

だってスポーツとかだって自分を心から信頼して応援してくれる人がいたら、
全力+αの気持ちとエネルギーで本来以上の実力を発揮したりするじゃないですか。

自分自身を信頼し愛すること、自分が心から素の自分自身でいられる場所が自分自身であればいいのだと思ったんです。
友人にその話をしたら、
それが「今、ここ」ということだと言われました。

まだ自分が自分の聖域となる為に具体的にどんなことをしたらいいかとか、
全ては理解してないのですが、私はいずれその状態になれるということが
何故か不安なくわかっている感じがするのです。
どうしたらいいのかも良く分ってないのに、何故か私は必ずそうなる、ことが分るんです。
不思議ですよね。


私が自分自身の聖域になると思い至ったきっかけになったのは、
練馬区にある神社の御神木と対話した時でした。
これはシータヒーリングのセッションのその後の話からの続きになるのでまた次の記事に書きますね。
posted by えみ at 16:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の気付き