2012年08月16日

突然の気付き

お久しぶりです。
今日は昨日の出来事なんかを書こうと思います。
昨日8月15日に仲良くしていただいているヒーラーさんの御家に遊びに行かせて頂きました。
引っ越して1周年祝いに手作り料理等を持ち寄っての集まりだったのですが、
その行く道中、バスに乗ってボーっとしていたら何だか突然湧き上がってきた考えがありました。

私はここ最近ずっとパニック発作やら機能性低血糖障害やらと言われてよく外出時に発作をおこす体質というか持病ができてしまったわけなのですが、もしかしてこれって私が愛が足りないと思ってて皆に構って貰いたい、愛を与えて貰いたいと無意識に思ってる部分があるんじゃないの?
と、思ったのです。

だけど知識では自分は1人じゃなくて見えない存在達が私と共に常にいて導いてくれているのも判っているわけです。
それなのに孤独で愛が足りないと餓えているのか?判ってなかったのか?と感じたのです。
勿論自分だけで完結するのではないことも、愛を分かち合う喜びであったりそういうものも必要なのは判っているつもりですが、それは自分が愛が足りないから愛が欲しいから分かち合うものではないと思うのです。前提が違うのです。
なんという構ってチャン体質だよ、と思わず思ってしまいました。
昔からそう人から言われてもいたし、病気になったりするのは構って欲しいからだといわれたこともあります。
そんなことない!病気はこんなに苦しいのに何で構って欲しいからってだけでこんな苦しまないといけないんだ、と思う気持ちの方が強かったんです。

認めたくなかった。

だけど、ボーっとしてたときにそういう考えが浮かんできたんです。
愛が欲しいから病気なのかもって。
勿論それだけが病気の原因ではないことも判っています。
自分の身体にもっと意識や興味を向ける必要があったということも今では理解していますし、
他にも沢山の病気になる必要があった理由も自分で納得している部分もあります。

だけど愛されたいから、愛を与えられたいからという理由だけは気付かないようにしてたきがする。

そしてそう思ったあとに、じゃあ私は愛が足りないと思ってるのか?と考え始めました。
知識として、ガイド達が私についていてくれて、常に愛を注いでくれているのを知っています。
知ってるけど実感して無いってこと?腑に落ちてないってこと?

そんなことを考えてましたが、その時また本当に突然、私は私が感じることさえできれば
愛で充たされているんだということが何か突然判ったのです。

私が家にいてもいなくても、どこにいても私は愛されている。

何故ならガイド達は私と共にあるから。
私は1人ではなく私が感じることができるなら愛は既に私の周りに充たされているのだと、
何か突然理解したのです。

私が愛が足りないと感じているのは、私が常に愛に充たされていると気付いて無いだけなんですね。
私が1人で発作を起こして苦しんでいたとしても、本当は1人で苦しんでいるのではない。
見えない存在達は苦しむ私の側で自分の事のように心を痛め、それでも私が乗り越えると信頼して
見守ってくれてるのだと思うのです。
もしかしたら自分の事以上のこととして私を苦しみながらみてくれているのかもしれません。
私は最近チャネリングを通じてハイアーセルフという存在は私よりもよっぽど私という存在を理解していて
親よりも私にとって近しい存在だと思うようになりました。

でも辛い時って自分の辛い部分に捕らわれてしまっていて周りなんかみえないんです。
だからすっかりそういうことを忘れてしまう。
だけど、私が思い出すだけで、私が愛を感じようと心を感覚を開くだけで、
本当は愛に充たされているんだと判るはずなんだということに気がつきました。

私がどこにいようとも私は愛され愛に充たされているんだと理解したんです。

そう思ったとき、バスの中なのに涙がぶわぁぁぁぁっ溢れてきちゃって、
さすがにここでいきなり号泣はまずい!と泣き止むのに必死でした(笑)
これは気づきの涙だったのかなぁ。
気付けたことが嬉しくて出た涙だったような気がしています。
私は愛されているんだ、ひとりじゃないんだ、とうっすらと実感としてやっと判ってきた第一歩という感じでした。


そんな至福の気持ちの中、遊びにいったのですが、またその日に限って結構酷い発作を起こしてしまったんです。
よりにもよって人の家で・・・。
段々具合が悪くなってきて、おなかも痛いし緩いし吐き気も酷くなってきた・・・
というあたりで皆さんが心配してくださって皆でヒーリングしてくれました。
むしろ色々中に入り込んでたようで(御先祖様とか色々・・・)
それをひたすら抜いていただきました。
丁度先週仙台の夫側の祖母が他界したので告別式に行って来たばかりでした。

私は私に出来ることがあるんじゃないかとひたすらスピクリでヒーリングをずっとしていました。
祖母の告別式のときもずっとヒーリングしていました。
お婆さんが先に他界したお爺さんと再会して本当に幸せそうにしてる姿が見えて涙したりもしました。

私はそういうことができると、ヒーリングで何でもかんでも助けたいと傲慢になっている部分があったんだと思います。
自分で何でもしてあげたい、どうにかしてあげたいと思い上がっていました。
それを今回の発作で思い知らされた気がしました。
私には全てを救うことはできないのだと。
得手不得手があって、自分に出来ることと出来ないことを見極める必要があるのだと。
それがまだまだ甘いと言われました。
ヒーリングのエネルギーは無限にあっても、使う私が消耗することに変わりはないんだと。

いくらプロテクションを覚えても、自分からエネルギーの回路を開きっぱなしにしていたら意味がないことも改めて判った気がします。
そして自分を認めることの大切さも。

帰宅途中も発作が酷くて迎えに来てくれた夫にも迷惑をかけてしまいました。
あんな顔をさせてしまったのは私が苦しみに捕らわれてしまっていたから。

体調的には本当にボロボロで酷いものでしたが、改めて思い返すと沢山の気付きがあった日でした。

そしてこの日、出かける前に引いた大天使ラファエルのオラクルカードは
「DIVINE INTERVENTION」

聖なる介入

というカードでした。

・サインや直感に注意を払うように。
それは答えへの道しるべとなる聖なるガイダンスです

・よく見ればどの問題にも目に見えない祝福があることに気付く

そんな意味があるそうです。
一日がおわってみると、確かに色々な気付きは聖なる介入だったのかも。
聖なる介入のタイミングや方法は、大抵驚くべき形で起こるらしいとも書いてありました。
ほんとにもう突然というか驚くべきっつーか苦しいっつーの!辛いっつーの!という出来事でしたよ。

苦しい出来事だけれども気付きという祝福が沢山あったんですよね。

皆さん、聖なる介入というカードが出たら、
何か素晴らしい出来事が突然起こって幸せになる、とか
夢見がちにならず、地に足をつけて起きた現実を受け入れる心の準備をしておいた方がいいですよ。
きっとその先に行ってみたらそれは素晴らしいギフトだと気付くのだと思うのです。



最後までよんでいただきありがとうございます
愛と感謝を込めて
posted by えみ at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の気付き
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