2013年03月29日

意識レベルをどうやったら上げることができるのか?

さっきツイッターでフォロワーさんが呟いてた記事を拝見して、
ふと興味が湧いて他の関連記事も読んでいました。
内容は「泥棒する人達」に関しての記事でした。
私が読んだ記事は主に子供がいる母親がやらかした内容だったのですが、
その内容を読んでいると目を疑うものばかりで、全てが真実ではないとしても
あまりの意識レベルの低さに驚愕しました。
この場合の意識レベルというのは救急で言われるような部類のものではなく、
いわゆる人間としての意識ということになります。

少し脱線しますが、意識レベルについて。
私は読んだことがないのですが、「パワーカフォースか」というデヴィッドRホーキンズ著の本があり、
他のサイト等でもよく意識レベルの分かれ目は200で1000が悟りの領域だ、と言われているようです。
私も以前にセミナーでそう教わったこともあってこれを基準にしていましたが、
最近は、特に去年の12月以降はこの1000という基準も変わってきているように思います。
もっともっとこの基準が大きくなったような感じがするのです。
例えば今まで600位の意識の人が今年に入ってからは900位にまで上がっていたりするのです。
だからといって日常生活が悟りのような生活になっているのか?と思うかもしれませんが
みるかぎり今までと全くかわりません。
病気もするしそれを不安に感じたりもする、怒ったりもするしイライラしたりもする。

これは私の今の意識レベルで調べたことなので私にとっての真実ということになりますが、
今まで限定されていた意識のレベルが大きく解放されたという感じなのかな?と思っています。
今まで上に見えない蓋をされてて意識を上げることが中々できなかったのが、
蓋が外されたことで今までよりも簡単に意識が上がるようになった。とか。
そんな風に感じます。
だからどんどん上がっていく人はどんどん意識が上がっていくだろうし、今までと変わらない人も
それでも自然と上がって行ってしまう。
上がりたくない人は今までと変わらない。
だからこその意識の格差みたいなものが広がってしまうのかもしれない、と感じました。

少し前にアカシックレコードに行くという瞑想を友人の誘導瞑想でしたことがあったのですが、
その時に私は5年後、10年後の世界はどうなっているの?と覗いてみました。
覗いた世界では、詳しいものがみえたのではなく、天国と地獄が同時に存在する、という認識だけでした。
瞑想をした当時はどういうことがいまいちよくわからなくて、意識の格差みたいなのが大きくなっているみたいだ、と思ったのですが。
改めて今日このブログを書きながら意識レベルというものを考えた時に、上の蓋が空いて上がる人はどんどん上がってしまう、と書いてて
「ああ、このことなのか」と思いました。

同じ現実でも、光を向いて生きている人と闇を向いて生きている人とでは天国と地獄程に
世界の見え方捉え方は違うのでしょうね。
でもどちらを選ぶのかも本人が決めていることですし、闇を向いているからそれは悪だとは
私は判断しません。それも本人にとって必要な学びなのかもしれないからです。
そして私にも誰にもその人の人生を変えることはできないのです。


さて話をもどしましょう。
先程言ってた泥棒するっていう記事を何ページ分か読みました。
内容はすべてが本当ではないだろうと思っていますが、それでも驚愕するというか
教育が進んでいる日本人にもこんなに意識が低い人たちがいるのか・・・しかも母親になってまで・・。
と残念な気持ちになりました。
もう、読んでるとみぞおちとハートと喉の辺りが重苦しくなってきて辛くなってきて、
これ以上読むと発作を起こすと思ってやめたのですが、
ブログを閉じたらその苦しく不快な感覚はスーッと軽くなりました。
ブログで読むだけでもこれだけの負荷を感じるエネルギーであるならば、
当事者達はどれだけのマイナスエネルギーの負荷を自分たちにかけているのだろうか?と思いました。

因果応報という言葉があります。
自分で巻いた種は自分で刈り取る、
つまり人から何かを盗んだならば、その因果は自分に同じエネルギーとして還ってくるということです。
人に愛を分け与えたなら巡り巡って愛として自分に還ってくるということです。
本人がそれと気づいていなくても搾取するというエネルギーは本人にとって人生の一部を奪われるという形で還ってきているかもしれません。
例えば病気になって人生がままならなくなる、物理的に警察のお世話になるかもしれない。

でも知識として因果応報をしっていたとしても、
それを実際自分で愛として実践できるかどうかは別なんですよね。
それが意識レベルの違いなのだと私は思います。

私も子供のころかなり意識の低い人間だったのだと思う出来事が最近ありました。
それは実家の自室を片付けていた時のことです。
結婚して8年、実家の自室を片付けずに家を出てしまったのですが、この8年私は片付けというものをしませんでした。
山積みになっているものたちを仕分けしたり処分したりするのも面倒だし中々実家に帰らないし。
見て見ぬふりをしてきた数年間でした。
むしろ結婚する前も片付けとかやったことがなくて、常にものが山積みだったのです。
そんな学生時代からの山積みの荷物を今年の元旦からとうとう断捨離を決意して片付け始めたのです。

片付け始めてみて驚いたのが、人から借りたものが沢山あったということでした。
しかも返却していないばかりか借りてたことすら忘れていたのです。
しかも当時借りっぱなしにしている自分を振り返って思い出してみても、悪いと思っていない!
そんな品物が沢山でてきたのです・・・。
これには自分も驚愕でした・・・。
まさかこんなことして悪いと思っていない自分がいたなんて。
当時借りて返さなかった友人達、本当にすみませんでした、ごめんなさい。
よく当時の周りの友人はそれでも私と仲良くしてくれていたものだと思います。
こんな愛も誠意もない人間だった私に良くしてくれてありがとうございます・・・。

こういった当時の重いエネルギーをずっと蓄積してたんだなぁと片付けながら思いました。
こういったエネルギーも、結局自分に還ってくるのです。

もし、当時の私にこの因果応報という仕組みを懇切丁寧今の私が教えたとしても、
理解できなかっただろうなと思うのです。
だってそもそも返さないのがどれだけ人に迷惑をかけているのかとか、
思ったり考えたりしてないのですから。
たとえ考えてみてもよくわからなかったかもしれません。
だからといって、借りたものを返さなかったら同じことをされるよって言ったとしても、
まぁそれはそれでいいやって思っている節もあったのです。
実際貸したCDを壊されたことがありましたが特に怒ったりしなかった記憶もあります。
だけど、だからといって同じことをしていいというわけではない。
当時の自分をハリセンで叩いて説教したい位ですが、そこを通過して今の私がいるのですよね。

今では誰しもが通る道なのだろうと思っています。
今世ではなくても過去の人生でもっとひどいことをしていたこともあると思います。
ただそれが今か今じゃないかというだけ。
大きな視点で言えばお互い様なのだと思います。

記事で読んだ盗むという行為、
大きな視点ではお互い様ではあるかもしれないけれど、
だからと言ってそのまま盗まれるのを許す、放置するという意味ではないのです。
そんなことしてもお互いの為にならないからです。
それならどうしたらいいのか?を考えた時に、私はその人の意識レベルを上げるのが
一番はやいのでは?と思ったのです。
今理解できないからそれをやっても許されると思っているし同じことを繰り返してしまうのです。
人の気持ちなど理解できないのです。
でも意識レベルを上げられるのはほかならぬ本人なので、
どうやったら強制するのではなく本人が自発的に意識を上げる努力が出来るようになるのか?
そういうトラブルが一番自分や他者を成長させるきっかけになるのは確かなのですが、
それ以外にも何か今の時代、自分の意識に目を向ける大切さを知るきっかけになれることはないだろうか?

そんなことを記事を読んで思いました。
私自身も意識変容のきっかけになったのが自分の病気で自分自身がままならなくなったのと
友人とのトラブルでした。

あの体験は本当に自分にとってとても辛くて苦しくて今までの自分の世界の全てを木端微塵にされた気持ちでした。
自分の世界が何も無くなって、泣きながら海をただよっていたら、偶然知った本の内容にあった
「ありがとうございます」っていう言葉の丸太を見つけてそれにつかまってしばらく漂流してたようなそんな数か月がありました。
心から思っていないかもしれない、だけどまずは言葉から言っていこう、今までの「ごめんなさい、すみません」という口癖をやめて、「ありがとうございます」という口癖に変えていこう・・・。
そう思ってそういうことを実践し始めました。

今思うと、その「ありがとうございます」という言葉を意識して使い始めてから私の意識は変わり始めたように思います。
その言葉があったから私はそれ以上意識が沈むことなく立ち直ることが出来たのだろうと思っています。

そのうち感謝することがどういうことなのか、自分を愛するってどういうことなのかが少しずつ理解できるようになってきました。
この少しずつ理解できるようになっていくのが、人としての意識レベルが上がっていくということなのではないかと思うのです。

私自身、今こうやってブログ内容を書くまで、どうやったら人の意識レベルをその人が自発的にあげることができるんだろう?って見当もつかなかったんですが、
「ありがとうございます」
という言葉をどんどん使っていくのはとても有用なのではないかと思いました。
もっと何か高尚なテクニックみたいなものがあったりしないかなとか漠然と思ってたんだけど、
この感謝の言葉を積極的に使っていく方が簡単に楽に気軽に始められますね。

もし普段言わないな、と思われた方は是非まずは自分自身に「生きていてくれてありがとうございます」
と言ってあげてください。
そしてご家族にも感謝の気持ちを伝えてあげてください。
そうやって愛の循環は始まっていくのです。


長くなりました。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
posted by えみ at 14:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 日々の気付き
この記事へのコメント
こんにちは。はじめまして(^^♪
「意識レベルを上げる」で検索していて
こちらのブログを見つけました!

「ありがとう」の言霊パワーを信じて
毎日意識しながら暮らすことが、結果として
意識を上げていくことなのかなあと思いました。

えみさまのブログを読んで宝物を見つけたような
気持ちになりました。
ありがとうございましたm(__)m


Posted by mariまま at 2014年02月27日 13:53
mariままさん
コメントありがとうございました^^

私も日々色々な気づきと共に生活しております。
mariままさんの良き経験の一つとして
このブログの記事がお役に立てたのなら幸いです。

ありがとうございます
Posted by えみ at 2014年07月05日 18:19
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