2013年08月21日

自分が自分の聖域となる

タイトルの

「自分が自分の聖域となる」

という言葉、ある時ふとそこに思い至りました。
私はパニック障害と診断されてから、これまでいつ発作がおきるかとずっと不安を抱えて
生きてきました。
ほぼ毎日みぞおちの辺りが重くて息苦しくて、出かける時はいつ起きるかと不安で、
頓服用の薬は必ず携帯し、補食用の食べ物飲み物を山ほど外出時には持ち歩き、
最近はいつも鞄が物凄く重いのです。
私はこの鞄の重さは私の不安の重さだと思っています。
まだ未だに鞄は軽くならないのですが、最近ほとんど発作が起きなくなってきました。
そして思い至ったことがありました。

それが、
「自分が自分の聖域となる」ということでした。
私は発作が起きると、その場から逃げ出したくなるのです。
落ち着かなくてその場に居たくなくなる。
どこかに帰りたくなる。
突然物凄い孤独感に襲われて不安が膨らむんです。

そう感じた時に、何で私はここから逃げ出したいのだろう?と思ったんです。
勿論その場のエネルギーが自分に合わなくて、その場から離れた方がいいという
ケースもあります。
それ以外になんで家に帰りたいと思うんだろう?
家に帰ったって、発作がすぐ治まるわけじゃないし、確かに安心はできるだろうけど
休むことならどこでも出来るのでは?なんで家に帰ることにこだわるのだろう?って。

そういうことについて思いを巡らしたりしていると、ある時ふっと、
もしかして自分自身が自分にとって一番安心出来て安らげる場所なら、
私はどこにいても大丈夫なんじゃないか?と思ったのです。
本当は家などの場所とかは関係なく、自分自身を信頼しきれていないから、
安心できる場所を外に求めているんじゃないのか?
そう思ったんです。

そうだとしたら、もし自分自身を真に理解して、なんでも自分自身が受け止めてあげられて、
世界の全てが敵にまわろうとも私自身は私の味方であり、私を全面的に愛してあげられたら、
私自身を真に信頼できたなら、私はどこにいっても何をしてもずっと安心な気持ちでいられるんじゃないのか?って思ったのです。
その安心な場所ならば、自分の持てる力を全て使えるようになるんじゃないか?
むしろ本来の力以上の力も発揮できるんじゃないか?とさえ思うのです。

だってスポーツとかだって自分を心から信頼して応援してくれる人がいたら、
全力+αの気持ちとエネルギーで本来以上の実力を発揮したりするじゃないですか。

自分自身を信頼し愛すること、自分が心から素の自分自身でいられる場所が自分自身であればいいのだと思ったんです。
友人にその話をしたら、
それが「今、ここ」ということだと言われました。

まだ自分が自分の聖域となる為に具体的にどんなことをしたらいいかとか、
全ては理解してないのですが、私はいずれその状態になれるということが
何故か不安なくわかっている感じがするのです。
どうしたらいいのかも良く分ってないのに、何故か私は必ずそうなる、ことが分るんです。
不思議ですよね。


私が自分自身の聖域になると思い至ったきっかけになったのは、
練馬区にある神社の御神木と対話した時でした。
これはシータヒーリングのセッションのその後の話からの続きになるのでまた次の記事に書きますね。
posted by えみ at 16:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の気付き
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