2013年05月30日

男性に裏切られた女性の夢、心の奥の願いとは

先日男性に裏切られる女性の夢をみました。

私はその裏切られた女性になっていました。
夢の舞台はデパートみたいなホームセンターみたいな場所で、
そのフロアは全てオルゴールやガラスの置物、造花の飾り物等のインテリア雑貨が置いてある
ような場所でした。
私ことその女性の外見はゆるいウェーブがかったロングの髪の毛で、
髪の色はまっ黒というよりはこげ茶のような色合いでした。
背丈は今の私よりも大分背が高い印象で、歳は30代か40超えてそうな感じ?
時代は今よりももうちょっと前の感じがしました。日本かどうかも分らないな。
自分自身を夢の中で鏡でみたとかではなく、そういう感じがするというだけなのですが、
取りあえずそんな感じがする女性でした。

その女性は男性と一緒に買い物にきているようでした。
男性は女性にとって大切な人みたいで、彼はその女性になんでも一つ買っていいよと
言ってくれて、私はいそいそと品物を吟味しているところでした。

私が品物を見ているときに男性の元に知らぬ女性が一人現れました。
その女性は男性に「そんなの買ってやる必要はない」と言い、彼も
それに納得してその女性と一緒に駐車場の方へ出て行こうとしました。

私はその急な出来事に頭が真っ白になり、何も考えられなくなりました。
そして突然どうでも良くなり、自暴自棄という感情に突き動かされて突然
店内にある品物を片っ端から床に叩き落としたり壊したりし始めました。
その時にふと弁償の言葉も過りましたがそれもどうでもよくなりました。

その時に感じていた感情は
「ちゃんと私を見て!私と納得するまで向き合って!」でした

表面の感情は
「何故約束を守ってくれないの!?約束したじゃない!!」
という激しい気持ちでしたが、心の奥底では
「私を見てほしい、私と向き合ってほしい、
違う女の話に乗るんじゃなくて私とちゃんと話してよ!」
と思っていたのです。

これは夢の中で体験したことなので、
目が覚めてからこんなに冷静に感情を読み取ることが出来ましたが、
実際自分がこの立場に置かれたなら、きっと激情にのみこまれて
自分の奥の願望など気づかないし、相手も気づくことが出来ないのだろうなと
思います。
この夢での表と奥底の感情、両方が同時に実際存在していたとしたら、
事が起きてしまった後、先程のような「何故約束を守ってくれないの!?」という
表面的な相手の感情や願望を取りあえずかなえて宥めたとしても、
奥底にある本当の願望は満たされていないということになります。


どのような問題であっても、なんとなく根底には誰しも自分と向き合って
もらいたい、自分を見てもらいたい認めてもらいたい、
という感情があるような気がします。
だからどのような問題に直面しても、自分と相手に真摯に向き合うことが
一番お互いに必要なギフトなのかもしれない、
と、この夢で思いました

きっと夢の中であの後約束通りに品物を買ってもらえたとしても、
それは約束なんだから当然よ!となり、
心の奥のもやっとしたものは解消されないままなんとなくその場は
終わってしまう。
望んだ品物は約束通り手に入ったのに、
約束を守ってもらったのに、何故か気持ちは満たされない。
何で?
と、結局ここで悩むような気がするのです。

何度も同じことを書きますが、
物質を望んで、それらをいくら手に入れても何故か満たされない。
そんな典型的な物語の根底には、
つまり心の奥底にある
「本当は自分を見てほしい、向き合ってほしい」
という願望が満たされないからなのだと思うのです。

この奥底の本当の願望を満たすためには、どのような状況であっても
お互いがお互いを思いやり、お互いと自分に対して逃げずにしっかりと向き合って
話し合ったり理解しあったりしてお互いの心のズレを修正し、納得して、
わかれるなりよりを戻すなりする必要があるのでしょうね。

それが一番難しいからこそ皆、物品やお金で取りあえず解決しようとするわけですが、
だからよけい話がややこしくなったりよろしくない方向に転んだり、
結局同じことを後々繰り返してしまったりするのですよね。
それはお互いを理解する、向き合うという課題を
お互い乗り越えていないからなのかもしれません。


夢って面白い。


だって自分がその時感じていた表面的な感情も分るし、
奥にある感情も分る。
自分として行動していることを体験しているのに、
それを少し離れた空中から観察している自分もいる。
それを同時に体験しているのが何故かわかる。

冷静に体験見学することが出来る不思議な空間。

そもそも自分が激情に駆られて見境なく物を壊しまくるとか無いと思うので、
自分では体験できない貴重な体験と感情を経験させていただいた気分です。

私にとって夢は普段経験できない感情を体験できる空間です。


皆さんに愛と感謝を。
posted by えみ at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢日記

2012年08月23日

夢は霊的社会科見学?

ここ最近とても普段の自分とは違った行動をする夢をみます。
連日そうだったのでどういうことなのかなぁ?と色々考えてみました。

まず一昨日に観た夢はトイレに私が用を足しに入っていた時のことです。
女性用トイレなのに突然複数の男性が話しながら入ってくる声が聞こえてきました。
そしていきなり個室ドアの隙間から覗き込んだかとおもったら、
「えみじゃん!」みたいな気安いノリでいきなりドアをこじ開けてきたんです。
私はびっくりしたのとその悪びれもしないというか常識の無さに頭にきて
そこに正座しろ!と男共を6人位?その場に正座させて怒りを爆発させました。

初め間違って入ってきたのは仕方ないとして、その後悪いと思わずに居座るとはどういうことかと
説教しながら怒ったのですが、男達は悪いと思ってない様子。
あまりにも頭にきてその場で正座してる姿を写真にとって誰かに報告しに行こうとすると
さっきまで何処吹く風だった人達が顔色を変えて卑怯だ!
というようなことを言いながら今度は私を責め始めるというものでした。

そして今朝見た夢は、なぜか以前付き合っていた人と今住んでいる家から違う家に引っ越すという話になっていて、新しく引っ越す物件も既に決まっているらしく私はただそれに従うような感じから始まりました。
だけれど新しい物件は今の家よりもはるかに狭くて住み心地も悪そうというか・・
むしろその引っ越す直前にハッと我に返り、私は今住んでるここが大好きで離れたくない!!と
急にそういう思いがこみ上げてきて相手に断固拒否するというものでした。
すると相手は青いレトロな外車に乗っていきなり私の方に突っ込んできました。
私はそれでもそんな車怖くないと恐怖を微塵も感じずその車と対峙しているという夢でした。

起きてから今住んでるところが気付かないうちにこんなに大好きになってたんだなぁと思ったのでした。

この連日の激しい気性の夢が何か意味があるのかしらと思いをめぐらしたりしました。
普段の私は自分が言うのもあれなんですがとても温厚な生き物なんですよ。
めったに怒ったりしないし、断固拒否とかそういう拒絶行動を取るなんてことも殆どありません。
だけどここ数日自分の気性の激しい部分があるというのを垣間見ているという気分です。
ああ、私もこんな風に怒れるのか〜・・・みたいな。
ただ表に出さないだけでちゃんと自分の中にはそういう部分があるのかな、と思ったんです。

余談ですが、私は最近クロップサークルのエッセンスを飲んでいます。
本来クロップサークルエッセンスは飲まないで使うものなんですが、
飲用許可を正式に出してくれる方のセッションを受けた時にたまたま出たエッセンスでした。
テーマが「女性性と男性性の統合」、bSのエッセンスです。

以前から私は女性性と男性性のバランスがどうも悪いらしいというメッセージがきていました。
それでこのエッセンスが選ばれたのかなー?と思って既に3週間程飲んでるのですが、
ここ数日の攻撃的な夢はその影響もあるのかな?と思ったんです。

女性性と男性性の統合というテーマにおいて、この激しい気性の部分であったり
本心を曲げない勇気であったりする自分の中の部分に気付いて、
こういう部分が自分の中にあることを認める必要があったり、
これを実際自分の人生で表現することも時として必要になってくるのかもしれない。
必要な時に出来る様に夢にでてきたのかも、と思いました。

私が起きて私として生活している時、私に起こる出来事によってその時に感じる感情はより身近に
リアルに感じられるけれど、どうしても客観的に見ることが出来なかったりします。
それは痛かったり苦しかったりする時により強く感じます。
苦しいとそれに捕らわれてしまって中々本質がみえない。

だけど、夢の中だとそういう肉体面での苦痛というものをあまり感じないことが多いんだけど
感情はよりリアルに感じられ、だけどもそれを一歩引いたところからも観察できる。
だから夢を覚えて持ち帰れたとき、観た夢の中での感情や出来事を改めて思い出してみて
あれはこういうことだったのか、そういう風にみえるのか、とわかることも良くあります。
自分で体験経験しながらより客観的に感情や体験を観察できる。学ぶことが出来る。

それはまるで霊的な社会科見学をしてきたような感じだなと、今日思ったのでした。
夢で体験した感情や経験が、もしかしたら自分が過去世で体験したことを追体験してるのかもしれないし、
その感情を理解するために仕立てられた物語かもしれない。

昔から私は夢を観るのがとても好きでした。
昔は空を飛んだりとか良く行く街に行ったりとか、
ただ夢を観るのが好き、という感じだったけど、
今では夢を観るのは好きだけどその見方がかわりました。
夢から気付きを得られるなんて、何て便利で楽な方法なんだろう!と思ってます(笑)

でも夢も現実での抑圧が大きければ大きいほど歪んでしまう気がします。
私が漫画を描いていた頃は、〆切りが近づくほどに怖い夢ばかりみていました。
描いた原稿が川に流されるとか・・・
ここ数年夢の質が変わったなと思いましたが、そういうストレスが減ったからかもしれません。

気付きが多い夢を観るためには日々の生活にもちゃんと目を向ける必要があるのかもしれませんね。

まぁあれですよ、上記のようなしょーもないと思える夢ですらも
自分にとっての気付きはある、ということです。
そこから何かを気付くか、ただのしょーもないくだらない夢だったと判断するかも
本人が決めることなんですよね。

皆さんも是非夢の中で社会科見学して色んな気付きを持ち帰ってきてくださいぴかぴか(新しい)
posted by えみ at 15:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢日記

2012年08月19日

セキセイインコの自由

私は夢の中で胸の中に一羽のセキセイインコを抱きしめて私が昔住んでいた土地を自宅に向かって歩いていました。
私ともう1人誰かが一緒に歩きながら、私は胸の中で逃げないように抱きしめているインコを気にしながら歩いていました。

途中の広場などには他の綺麗な色をしたセキセイインコや他の鳥達が沢山いて、私はこの胸の中にいる子がそっちにいかないようにその子を手にさらに隠しながら移動したのでした。
だって外の子たちと触れ合ったりしたら病気が移ってしまうから。危ないから。
そう思って絶対近づけさせないとその子を守りながら移動していました。

そしてやっと家に着き、ほっとして胸の中に抱いてたインコを手から出してみました。
するとその子はとても羽根がボサボサで手入れも何もされてない状態で、顔も貧相な感じになっていました。
私はそれらに意識がいかず、ひたすらその子のほっぺをなでなでしていました。
なでられてる間、その子はじっと目をつむって気持ち良さそうにしてるところで目が覚めました。



起きてから、ぼんやり疑問を感じました。
ただひたすら守りながら来たけど本当にそれでよかったのか?
本当にその子にとってそれが良かったことだったのか疑問に感じたんです。
外界からの病気であったり困難や障害からひたすら守ってたけれど、
確かに病気になったり困難は無かったかもしれないけれど、
家に帰ってみてその子を手からだしてみて、
手入れもされずにぼさぼさの羽毛、貧相なまま変わってない顔、

本来の鳥ならばもっと美しい羽根になってて生き生きと飛び回ったりするはず。
その子だってそれが出来たはず。
それなのに私はただ守りたい一心で、その子の自由や可能性を奪ってしまっていたんじゃないか、
尊重していなかったんじゃないかと起きてから思ったのでした。
夢の中の私はただ守りたい一心でした。

「守る」という気持ちや行為はもしかしたら時として、
そのように相手の気持ちや自由や可能性を尊重することを忘れてしまいがちに
なってしまうのかもしれない、と考えさせられる夢でした。

私達が真に成長するためには、ただ全てから守られた環境にいてはそれが望めないということかもしれません。

相手の自由を尊重しその人の光という可能性を信頼すること。
その上で必要な時にそっと手を貸すことが出来るようになれたらと最近は思っています。
その人がその人らしく本来の自分の意思で何でも出来るようになってもらいたいと思うのです。

それは私自身の課題でもあると思いました。


ただ守りたいと思うのは愛情ではありますが、自分のエゴでもあるのだなぁと今回の夢で感じました。

もしかしたら世の母親も子を守るってこんな気持ちなのかなぁと
(鳥と一緒にするなと思われたら申し訳ないですが、私にはその小鳥がわが子のように感じたので)
うっすら思ったのでした。


夢って面白いですね。
私の気付きの半分以上はもしかしたら夢からかもしれません。

最後までお付き合いいただきありがとうございます。
愛と感謝を込めて
posted by えみ at 11:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢日記

2012年06月14日

刺されても許したい?+死について

最近アメブロのチャネリングメッセージばかり書いてて、こちらを疎かにしていました。
結構沢山イベントや気付き等があって、色々かきたいって思ってたのに元来の不精でさぼっております。

4月にはラヴィングタッチという施術方法のイントロダクトリーを受けたり、5月にはラヴィングタッチの施術を受けさせていただけたり、
5月下旬から6月上旬にかけてはスピーディークリアヒーリングのセミナー再受講(4回目?)とスピクリライトボディコースを受講したりしてきました。

そのうちそこらへんの記事も書けたらなぁと思います。忘れないうちに・・・


さて、今日の夢日記ですが、今日ちょっと前日ゲームしすぎて寝不足もあってお昼寝してたんです(オイオイ)

そしたらそこで観た夢が色々何か考えるようなことだったので記事にしました。
初めの方では、自分に天使のような羽根があって空が飛べるみたいでしたが、
友人を抱えて飛ぼうとしたら重くて全然上手に飛べないという変にリアルな夢でした。

そこから気付くと私は違う友人が開催している演劇のようなパフォーマンスのようなものを見に来ていました。その友人は今でも仲が良い友人の1人ですが、夢の中では今の仕事とは全く違うことを表現していて、
その上映を見ているとものすごく引き込まれて夢中で見ている自分がいました。
あっという間に90分程がたったころ、観客の男性が長すぎるといきなり怒り始め暴れだしました。
そして上演していた友人に襲い掛かろうとしました。
ここら辺の夢の内容が既に夢なのか覚醒してからの自分の妄想なのかも判らない狭間みたいな意識状態だったのですが、私は襲われてる友人を庇って相手に刃物で背中を刺されてしまいました。

でも夢の中なので痛みも衝撃も苦しみも無く、刺されたというビジョンだけを感じていました。
そしてその刺された状態の時に、私はとても穏やかなスローモーションのような状態の中にいました。
相手に怒りを覚えるのでもなく、辛さや痛みを感じるのでもなく、死への恐怖を感じることもなく、
ただ穏やかな気持ちの中で相手のことをお互いの為に許したいと感じてる私がいました。

彼がたとえ生前あれは事故だ自分は悪くない、と己を偽って罪を否定したとしても、
彼の死後、彼の魂が長い間自分で自分を裁くことになるのならば今この場で私が相手を許し、
今その時、その場で己の罪と向かい合う勇気と己を許すための人生を選べるような選択肢を与えたい。
相手の魂の為に、という感情?でした

実際はその夢の中の一瞬の時間にそんな感じの感情が沸き起こったという感じだったのですが、
言葉に直すとこんな感じ・・・?かなぁ

起きて今考えてみると、え〜実際は無理だろう・・・とそんな状況になったらそんなふうに思えるわけない、
と思ってる自分がいるわけです。
夢の中で痛みも苦しみも死への恐怖も無かったからそういうふうに思う事ができたのかも?
と思いました。

もしかしたら肉体がない魂の意識のみ(っていうのかな?)の状態だったのなら、こういう風に思うのかもしれないけど、実際私達は肉体を持ち、痛覚があるわけで、その制限のある肉体を持ちながらこういう意識がもてるようになれるのか?という問いかけには、私はまだ答えることが出来ません。

もしかしたら生きながらにしてこういう境地になるために愛を学びながら生きているのかもしれません。

とにかくお昼寝しただけなのに、とても不思議な体験をしたのでした。
夢の中の自分は死にたいする恐怖もなくて、それってとても重要なのではないかとも思いました。
死への恐怖が自分の純粋な意識を歪めている部分がとてもあるように思うのです。
夢の中ではそういう恐怖がなかったからこそ純粋に相手の為を思う感情がわきあがったのではないかと。


私が死というものに触れる瞬間、意識する瞬間があります。
私は今、パニック発作なのか低血糖障害なのか気圧の変化に弱いのか、
とにかく自律神経が乱れてるからなのか、原因が特定できませんが
よく発作を起こします。
最近では大分死への不安は減りましたが、自分を全然判っていない頃に発作が起きた時には
発作を起こして死ぬんじゃないかという不安と恐怖がとても酷い時期がありました。
死ぬと自分自身の消滅、何も残らない、全く意味の無い人生、無価値感等々・・・
とにかく理由のわからない恐怖しかありませんでした。

スピクリを伝授してもらってから約2年たちますが、こういう学びをするようになってやっと理由のわからない不安というものが無くなってきました。
恐怖を感じるのは自分がそれを理解していないからだ、向き合っていないからだということも判りました。
だけど未だにやはり死というものに関してはよく判らない不安があるのです。

だから最近死について自分自身が知るために「チベットの生と死の書」を読み始めました。
死というものについてもっと知ることが必要なのではと感じたのです。
出来れば死についてなんて見たく無いし知ったら早く死が自分の元へきてしまうのではないかとか、
辛いことを見たくないって気持ちがとても強かったんだと思います。
だけどいつか誰でも来るもの。
それを何の心の準備もしない状態で迎えたらどうなってしまうんだろう、
と何度も発作を起こす経験を通して感じ始めたのかもしれません。
とにかく気になりだしました。

色々な本を読んだり考えたり感じたりして、自分なりの死の受け止め方を考えていこうと思います。

と、そんな話を前日に母にしたら、
貴方がその年で死ぬことについて考えてるなんて何だかお母さん怖いわ、
なんて言われてしまいました。

だけど話してたら、同じような本(チベット死者の書)を母も私と同じ年代で買っていたのです。
30年位前に買ったけど読んでないそうですが、買ったということは
読みたいと当時思ったのでしょう。
私と同じ年代の頃に同じような本を買ったなら今私が同じ本を買って読んでるのも
不思議じゃないじゃない、なんて笑ってはなしたのでした。

posted by えみ at 20:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢日記

2012年01月20日

神社と馬の夢

2日間連続で神社におまいりに行く夢をみました。

1日目は旦那さんと一緒に神社に御参り。
この神社へ行くという流れになる直前に嫌な夢を観てました。
昔の私の恋人に旦那さんと私が拉致監禁されるというなんともな内容で、
逃げようとするも刃物を突きつけられて中々うまく逃げられない。
途中で助けを呼んだら気付いたらその人はいなくなっていました。

そしてその後二人でそのまま何故か道を歩いて神社の方へ向かう流れに。
何故か神社へいく道中にあるお店等、
1軒1軒にこんにちはー!
ってにこやかに挨拶しながら移動し、
神社へつくと、前にいたのは茶色い馬とそれを連れた何人かの人。
馬はおまいりするとこにあった石の台の上に器用に上ってじっとしてました。

そして自分の番になったので御参り。
内容は殆ど覚えてないのですが、何か自分の人生の課題みたいなものを自分で何とかするから
宣言しにきた!という感じで、
最後に世の中の皆にとって良い年になりますように。とお祈りしてました。


そして2日目はまた違う神社へきていました。
この日は御参りする前に手水舎で両手と口を洗うっていうことをやったのですが、
実際は手順を知ってるはずなのに、夢の中では両手にじゃばじゃば水をひしゃくで
かけて、口をすすぐときは、そこのひしゃくと水が汚く感じて口だけはすすげず、
形だけやって終了しました(笑)
そしたら誰かが私のところへきて、
「何で口をすすがないんだ?」って聞くので、
この水が汚くて出来なかった、と答えたのでした。


夢診断を調べたら
手水場が現れるのは、悔い改めたり清めなければならない部分があって、
そこで手を洗い口を濯ぐと浄化されるという夢みたいです。
口だけすすぐの拒んだってことは浄化されたくないブロックでもあったのかな。


あとは神社へ夫婦で行く夢は縁が強いことを示していたり、その土地とどちらかが縁が強いことを
示したりしていることもあるそうです。
近くの神社へ実際御参りしにいくのも良いそうなので、今度天気の良い日にでも諏訪神社へ
御参りに行ってこようと思います。
諏訪神社は一番近い場所ではないのですが、私が近所ではそこが一番好きなもので。
大きな樹がたくさんあって、とても気持ちの良い場所です。

夢の馬は運命を象徴したり精神的なエネルギー、肉体のエネルギーを象徴するもので、
大体馬が出現する夢は吉夢なんだそうです。


1日目も2日目も神社については結構良い夢なのに、セットで同じ日に観てるほかの夢が
目的遂行の為に殺人(?)をしてる阿鼻叫喚の世界だったり、拉致監禁されてる夢だったりなので
+-0?みたいな気分ですわ。

埼玉は今日は雪です。
寒いですが皆様も楽しい週末をお過ごしくださいね。
posted by えみ at 10:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 夢日記