2013年08月22日

シータヒーリングのセッションを受けてきました 続き2

セッションを受けたその後の経過になります。
前の記事の続きでもあります。

私が自分自身の聖域になると思い至ったきっかけになったのは、
練馬区にある神社の御神木と対話した時でした。


その日、7月に入ったばかりの頃にバイトの出勤途中で発作を起こしました。
途中で電車を降りて、その場に居たくなくて練馬まで戻ってきてしまいました。
30分以上たっても発作の不安がおさまる様子が無く、泣く泣く出勤を断念して、
そのまま練馬にあるかかりつけの心療内科に診察に行きました。

医者に行ったのはいいけど、気功で気の循環等を整えてくれるだけで、
私のバイト先へ行けなかったショックや、発作が起きたことでの外出への自信喪失などについては
軽く話す程度で時間が終わってしまい癒されませんでした。
発作を起こしたことがほんとうにショックで悲しくて、その苦しみを聞いてもらいたいのにそれはしてもらえなかった。

落ち込みながら駅に向かう途中で、ふと神社に行こうと思いつきました。
そして薬で大分落ち着いてきてはいたけれど、ショックで胸が締め付けられた苦しい状態で
ひたすら我慢して神社へ到着しました。

鳥居をくぐって神社の御神木を見た途端、
何とも言えない空気というか、例えるならば母親に迎えられた子供みたいな気持ちになったというか、
私は涙が抑えられなくて木の横で号泣してしまいました。

泣きながら心の中でひたすらショックだった今日の出来事をいいました。
変な話なのですが、医者に聞いてもらえなかったから私は近くの神社の御神木に言いたかったことを
話し続けたんです。
シータヒーリングでセッションを受けて、しばらく発作も起きなくて気持ちも明るくなってきてたのに、
もう通勤する自信が持てないことも、苦しくて辛いことも、医者が自分と向き合ってくれなかったショックも、全部全部話しました。
そして落ち着いたころに御神木が私に話しかけてくれました。

辛くて誰にも言えない時、私が貴方の魂の安らげる場所となりましょうっていってくれました。
本当にお母さんと話してる子供みたいな感覚でした。
そしてこうもいわれました。
貴方が今までやってきたことは決して無駄ではない、
少し躓いた位でなんですか、貴方にはこれからもずっとチャンスはあるのですよ、
と言われました。

他にもセッションを受けてエネルギーが変わっても、それが肉体に反映するまでには
少し時間がかかるのだともいわれました。
他にも色々話をききました。今の感情をしっかり味わうことが今ここで出来ることです、とか、
自分の周りに境界線を作る方法とか。

会社を安らげる場所にするにはどうしたらいい?って質問には、
近くの神社や会社の神棚の神様と交流を持ちなさいっていわれました。

最期に木に泣きつくなんて変かな・・・?と聞いたら、
他人の評価よりも、貴方がどう生き、どう感じ、どう学ぶかが大切ですよって言われました。

そんな対話が終了した時、気づいたら発作はすっかり収まっていました。
それからしばらくはやはり体調が安定しませんでしたが、最近になって大分発作は落ち着いてきました。

まだ苦しくなったり不安になったりすることもあって、鞄の中も食べ物と水を常に持ち歩いているけれど、
この前ふっと、
あれ?もしかしてパニック障害、治ってる?って思ったんです。
よく分らないけどそう思った瞬間がありました。
もしかして苦しくなるのも余韻みたいなもので、本当はもう病気自体は治ってるのかも、と思えたのです。

少なくとも会社にバイトに行くこと自体が前よりも楽になってきました。
会社の近くの神社にも出社する前に必ず寄って、ここまで出勤して来れた感謝とご挨拶をしたり、
会社に一人だった時にこっそり会社の神棚の神様にご挨拶もしました。
慣れてきたせいもあると思いますが、最近は会社での居心地が結構よいのです。
安心して仕事が出来るという感じです。

そんな風に発作を起こした後も外へ出ていけていることに感謝するばかりです。
この恵まれた環境に感謝します。
私と関わってくれている人たちに感謝します。

ありがとうございます。
posted by えみ at 09:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の気付き

2013年08月21日

自分が自分の聖域となる

タイトルの

「自分が自分の聖域となる」

という言葉、ある時ふとそこに思い至りました。
私はパニック障害と診断されてから、これまでいつ発作がおきるかとずっと不安を抱えて
生きてきました。
ほぼ毎日みぞおちの辺りが重くて息苦しくて、出かける時はいつ起きるかと不安で、
頓服用の薬は必ず携帯し、補食用の食べ物飲み物を山ほど外出時には持ち歩き、
最近はいつも鞄が物凄く重いのです。
私はこの鞄の重さは私の不安の重さだと思っています。
まだ未だに鞄は軽くならないのですが、最近ほとんど発作が起きなくなってきました。
そして思い至ったことがありました。

それが、
「自分が自分の聖域となる」ということでした。
私は発作が起きると、その場から逃げ出したくなるのです。
落ち着かなくてその場に居たくなくなる。
どこかに帰りたくなる。
突然物凄い孤独感に襲われて不安が膨らむんです。

そう感じた時に、何で私はここから逃げ出したいのだろう?と思ったんです。
勿論その場のエネルギーが自分に合わなくて、その場から離れた方がいいという
ケースもあります。
それ以外になんで家に帰りたいと思うんだろう?
家に帰ったって、発作がすぐ治まるわけじゃないし、確かに安心はできるだろうけど
休むことならどこでも出来るのでは?なんで家に帰ることにこだわるのだろう?って。

そういうことについて思いを巡らしたりしていると、ある時ふっと、
もしかして自分自身が自分にとって一番安心出来て安らげる場所なら、
私はどこにいても大丈夫なんじゃないか?と思ったのです。
本当は家などの場所とかは関係なく、自分自身を信頼しきれていないから、
安心できる場所を外に求めているんじゃないのか?
そう思ったんです。

そうだとしたら、もし自分自身を真に理解して、なんでも自分自身が受け止めてあげられて、
世界の全てが敵にまわろうとも私自身は私の味方であり、私を全面的に愛してあげられたら、
私自身を真に信頼できたなら、私はどこにいっても何をしてもずっと安心な気持ちでいられるんじゃないのか?って思ったのです。
その安心な場所ならば、自分の持てる力を全て使えるようになるんじゃないか?
むしろ本来の力以上の力も発揮できるんじゃないか?とさえ思うのです。

だってスポーツとかだって自分を心から信頼して応援してくれる人がいたら、
全力+αの気持ちとエネルギーで本来以上の実力を発揮したりするじゃないですか。

自分自身を信頼し愛すること、自分が心から素の自分自身でいられる場所が自分自身であればいいのだと思ったんです。
友人にその話をしたら、
それが「今、ここ」ということだと言われました。

まだ自分が自分の聖域となる為に具体的にどんなことをしたらいいかとか、
全ては理解してないのですが、私はいずれその状態になれるということが
何故か不安なくわかっている感じがするのです。
どうしたらいいのかも良く分ってないのに、何故か私は必ずそうなる、ことが分るんです。
不思議ですよね。


私が自分自身の聖域になると思い至ったきっかけになったのは、
練馬区にある神社の御神木と対話した時でした。
これはシータヒーリングのセッションのその後の話からの続きになるのでまた次の記事に書きますね。
posted by えみ at 16:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の気付き

2013年07月13日

夏越しの祓と私の自転車

先月の夏越しの祓の時のことです。

私は夏越しの祓というものに参加したことが今まで一度も無かったのですが(知らなかったので)
友人がつぶやいてるのを発見して、近くにそういえば茅の輪の写真が載ってる神社があった、
と思い出し、思い立って自転車で向かいました。
不思議なのですが、何だかこの夏越しの祓に行かないといけないというか、凄い行きたい、と
感じて身体が抵抗なく自然に動く感じだったのを覚えています。


現地へ着くと人がだれもいません。
あれ…?と思い神社の人に聞いてみると、開始は3時からで今は4時半、丁度終わったところだよと言われました。

ガーン…

しょんぼりしたけど、しょうがないので茅の輪だけ八の字にくぐって(これも教えて頂いた)神社にお参りをしてきました。

そして帰る途中に隣にあった自転車ショップで自転車の空気を入れて帰ったのです。

空気を入れて走りやすくなった自転車でしばらく走っていると、
途中で

パーンッ

って発砲したみたいな大きな音を立てて、いきなり後輪が破裂しました。
びっくりして降りてみると、後ろのタイヤがペッちゃんこ。
あー・・・空気入れすぎちゃったのかな・・・
と思いながら自転車を引いて空気を入れた自転車屋さんまで戻ることにしました。
ちょっと距離があったので、タイヤパンクしてるけど、乗れないかなぁ?なんて思って
試しに乗ってみたのがいけなかった・・・
何と前輪も同じように

パーンッ

って破裂してしまったのです…
そりゃもう恥ずかしかったです。
側をすれ違ってた人達もびっくりしてて申し訳ないやら恥ずかしいやら。

結局両方破裂してしまった状態で自転車ショップに持ち込み、事情を話しました。

タイヤも両方再起不能になってしまっていて、交換するとなると7000円以上かかるということでした。
今乗っている自転車はもう大学時代に通学の為に買ったもので、15年位使っていたものです。
結構使い込んでいたのでタイヤ自体も何度もパンク修理したり、タイヤ自体もかなりヒビが入っていたので、次にパンクしたら交換かなってお店の人に言われてたくらいでした。
そんな経緯があって、タイヤ交換になったら次は電動自転車にしようと決めていました。
だけど今の自転車に愛着もあったので、壊れて再起不能になるまでは・・・と思っていたのです。

そしてその日が突然やってきたのです。
今まで空気入れても全然そんなこと一度もなかったし、両方破裂とか予想すらできませんでした。

この出来事で、この子とは今日ここでお別れなんだと思いました。

電動自転車にしたいことを店員さんに伝えて、特性やバッテリーの事などの説明を色々お聞きし、
ちょっとだけ外で試乗させて頂きました。
本体は30キロ近くあるから、うまく乗りこなせるの?と不安だったのですが、
乗ってみるとあまりの軽さにびっくりしました。

そして壊れてしまった自転車は家に連れて帰るにも距離がありすぎたので、
そのお店で廃棄処分にしていただくことになりました。

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名前を桂花(ケイカ)と名付け、大学時代には大学で自転車を洗ったりと色々大切にしていました。
15年たつとサドルやハンドルのゴム部もかなり劣化してベタベタすることもありました。
錆も結構広がっていたり、すぐパンクしたり空気がぬけてしまったりして、
最後の方は平地でもこぐのがとても重くて大変ではありました。
古すぎて誰も盗む人いないだろうって感じだったので、
盗難に関してもまったく気にしたこともありませんでした。
そんな適当な扱いだったけど、それでも今まで私の足として頑張ってくれました。

そして夏越しの祓のこの日に私と自転車にとって印象的な幕引きとなりました。

大学時代から引き継いできた象徴のひとつであるようなこのオレンジの自転車を
この日に手放すことになって、悲しんだり名残惜しんだりする余裕も無くパっと手放してしまいました。

多分タイヤ破裂も片方だったら直して今も使い続けてたかもしれません。
片方だけ壊れた状態で廃棄することにかなり罪悪感があったと思います。
そういう悩む隙も与えられずに私や周りの人たちが怪我をすることも無く、見事に壊れてくれたんです。
もう見事、としか言いようがありませんでした。

何故この子をこのタイミングで手放すことになったのか、
理由はわかりません。
だけどそういうことなのだろうと、何となく納得しました。

桂花さん、私が大学生の時から今まで、ずっとずっとありがとうございました。
大切にしなかったこともあったり、乱暴に扱ったこともあったのに、こんなに長く
一緒にいてくれたことに感謝します。
私の足として色んな場所に連れて行ってくれてありがとう。
色んな思い出をありがとう。

そして、お疲れ様でした。
posted by えみ at 18:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の気付き

2013年06月17日

好きって気持ちの力

今日ふっと洗濯物を干してた時に思ったことです。

好きって力は大きいなぁって。

そんなことを昔のことを思い出しながら、改めて感じたのです。


私は今の夫と結婚する少し前に、付き合っていた5歳年上の別の人がいました。
長いことお付き合いをしていて、最後の頃には同棲をしていました。
でも私は相手をそこまで好きではありませんでした。
どちらかというと情と依存に近かった気がします。
私は自分にとても自信のない人間だったので、

「もうこの人と別れたら新しい人とは出会えないかもしれない」
「長い間付き合ってるから情があって別れられない」
って思っていました。

しかも相手はお金にルーズな人だったので、
毎回何かの度に当時学生だった私からお金を借りる人でした。
そのお金ももったいなくて、せこい私は毎回貸した金額をメモしていたのです。
「貸したお金を全額返して貰ったら別れようかな」
とずっと思って付き合っていたのです。

最後の方はもう、
「この人とこのままずるずる結婚するのかなぁ・・・」
などと漠然と思いながら、とても重い気持ちだったのを覚えています。


今、こうして改めて書いてみると、自分がどれだけ相手と自分自身に失礼で
誠意の無い生き方、接し方をしてたんだろう・・・って思います。
本当に本当にごめんなさい。


そんな今と当時を振り返ってみて、決定的に違うなと思うのは、家事をやるときです。
当時はまだ家事に慣れてなかったというのもあるかもしれませんけど、
相手の為に家事をやりたいと思えなかったんです。
特に相手の服や下着を洗濯するのは嫌でした。
自分の服もあるから仕方なく週1でやってたみたいな感じです。
元から部屋の片づけも苦手だったのもあって、片付けとか掃除はほとんど
やらなかった気がします。
当時私は作家活動でずっと作品を描いてたので、半分昼夜逆転の生活でした。
朝も相手が出社する時に一瞬起きて、見送ってすぐ二度寝する。
朝ごはんも作らない。

まだ付き合ってる段階だったから許された生活だったんだと思いますが、
本当に当時は自分のことばっかりで相手の為に家事をするのが嫌でした。
むしろ相手の世話をするっていうのがとても嫌でした。
なんで私がお母さんの代わりをしないといけないの?という気分だったんです。


そんな人の為に家事をするのが苦痛と感じるような私が、
今では夫の幸せの為に、夫と自分の為に自分が出来ることを喜んでやりたいと
思っています。
洗濯だって全く苦痛じゃないし、苦手な掃除や片づけも、何とか自分なりに頑張っています。
むしろ愛する夫の世話を出来るのは私の特権であって、関われることに幸せすら感じるのです。
とにかく相手の全てが愛しくてたまらないのです。

人を好きになるって凄いことだなぁと改めて思いました。
人を本当に好きになると、その人の為に働けるようになる。

愛は人を動かすって本当なんだなと実感しています。

余談ですが、それじゃあ自分をもっと愛せるようになったら、
自分の為にもっともっと沢山動けるようになるってことですね。
今気づきました。


この愛しい、大好き、愛してる、っていう気持ちを自分以外、
家族以外の沢山の人達に向けることができるようになったら、
もっともっと沢山の人の為に働けるようになるってことなのかなって思いました。

愛のとても大きい人たちはこれを世界にむけて普通にやってるんですよね。

愛は自分のハートから自然と湧き上がるものであり、
自然と体がそう動いてしまうような情動であり、
その行動は同情や自己満足とは違う、
その行動には自分という自我よりも、
他者の為を願う祈りに近い。

他者の喜びが自分の喜びとなる、

それが愛というもの。
posted by えみ at 17:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の気付き

2013年04月11日

後日談

そういえば昨年の11月に書いた友人から頼まれていた案件がどうなったのかを
書くのを忘れておりました。
なんのことかはこちらから

当時の記事の通り、お話を受けてまずは行動してみたのです。
するとあっさりと縁が終わりました(笑)
あの葛藤はなんだったのー!という感じです。
まさに葛藤するためにあったイベント、みたいな感じです。

話は少しかわりますが、実はこの話を受けた直後あたりからペタルトーンエッセンスのウェイトロスセットというものを使い始めたんです。
このウェイトロスセット、体重を減らすというよりも本人が抱えてるカルマを解放したり、不必要なエネルギーコードを切るという作用もかなりありまして、これを使い始めて件の仕事をすすめたら、あっけなくイメージに合わないね、ってことで話が流れたのでした。
やってみてダメだったのなら仕方ないね!ということで終了。

良い勉強になりました。
前の私だったら合わないなんて言われて仕事が流されたら、このやりきれない私の気持ちのいきばしょが!!とかどうせこの程度の絵柄ですからね、なんて落ち込んだかもしれません(笑)

それが今回あっさりと仕方ないね!で気持ちを切り替えることが出来ました。
だって自分の力量を示して向うが合わないと判断したならば、ご縁がなかったってことだし仕方がない。

そんなわけで、流れに任せた結果は必ずしも世間的に「成功」といわれるような結果になるわけではない、
ということが分りました。
だけど私にとっては色々な学びがありました。
流れに任せること、エゴをいれないことや葛藤、他にも色々な気づきがあったと思います。
それは世間的な意味合いで成功することよりも、とても私にとっては重要で大切なことでした。

そんな学びと経験が出来る機会をくれた友人に感謝です。
ありがとうございますハートたち(複数ハート)
posted by えみ at 17:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の気付き