2013年03月29日

意識レベルをどうやったら上げることができるのか?

さっきツイッターでフォロワーさんが呟いてた記事を拝見して、
ふと興味が湧いて他の関連記事も読んでいました。
内容は「泥棒する人達」に関しての記事でした。
私が読んだ記事は主に子供がいる母親がやらかした内容だったのですが、
その内容を読んでいると目を疑うものばかりで、全てが真実ではないとしても
あまりの意識レベルの低さに驚愕しました。
この場合の意識レベルというのは救急で言われるような部類のものではなく、
いわゆる人間としての意識ということになります。

少し脱線しますが、意識レベルについて。
私は読んだことがないのですが、「パワーカフォースか」というデヴィッドRホーキンズ著の本があり、
他のサイト等でもよく意識レベルの分かれ目は200で1000が悟りの領域だ、と言われているようです。
私も以前にセミナーでそう教わったこともあってこれを基準にしていましたが、
最近は、特に去年の12月以降はこの1000という基準も変わってきているように思います。
もっともっとこの基準が大きくなったような感じがするのです。
例えば今まで600位の意識の人が今年に入ってからは900位にまで上がっていたりするのです。
だからといって日常生活が悟りのような生活になっているのか?と思うかもしれませんが
みるかぎり今までと全くかわりません。
病気もするしそれを不安に感じたりもする、怒ったりもするしイライラしたりもする。

これは私の今の意識レベルで調べたことなので私にとっての真実ということになりますが、
今まで限定されていた意識のレベルが大きく解放されたという感じなのかな?と思っています。
今まで上に見えない蓋をされてて意識を上げることが中々できなかったのが、
蓋が外されたことで今までよりも簡単に意識が上がるようになった。とか。
そんな風に感じます。
だからどんどん上がっていく人はどんどん意識が上がっていくだろうし、今までと変わらない人も
それでも自然と上がって行ってしまう。
上がりたくない人は今までと変わらない。
だからこその意識の格差みたいなものが広がってしまうのかもしれない、と感じました。

少し前にアカシックレコードに行くという瞑想を友人の誘導瞑想でしたことがあったのですが、
その時に私は5年後、10年後の世界はどうなっているの?と覗いてみました。
覗いた世界では、詳しいものがみえたのではなく、天国と地獄が同時に存在する、という認識だけでした。
瞑想をした当時はどういうことがいまいちよくわからなくて、意識の格差みたいなのが大きくなっているみたいだ、と思ったのですが。
改めて今日このブログを書きながら意識レベルというものを考えた時に、上の蓋が空いて上がる人はどんどん上がってしまう、と書いてて
「ああ、このことなのか」と思いました。

同じ現実でも、光を向いて生きている人と闇を向いて生きている人とでは天国と地獄程に
世界の見え方捉え方は違うのでしょうね。
でもどちらを選ぶのかも本人が決めていることですし、闇を向いているからそれは悪だとは
私は判断しません。それも本人にとって必要な学びなのかもしれないからです。
そして私にも誰にもその人の人生を変えることはできないのです。


さて話をもどしましょう。
先程言ってた泥棒するっていう記事を何ページ分か読みました。
内容はすべてが本当ではないだろうと思っていますが、それでも驚愕するというか
教育が進んでいる日本人にもこんなに意識が低い人たちがいるのか・・・しかも母親になってまで・・。
と残念な気持ちになりました。
もう、読んでるとみぞおちとハートと喉の辺りが重苦しくなってきて辛くなってきて、
これ以上読むと発作を起こすと思ってやめたのですが、
ブログを閉じたらその苦しく不快な感覚はスーッと軽くなりました。
ブログで読むだけでもこれだけの負荷を感じるエネルギーであるならば、
当事者達はどれだけのマイナスエネルギーの負荷を自分たちにかけているのだろうか?と思いました。

因果応報という言葉があります。
自分で巻いた種は自分で刈り取る、
つまり人から何かを盗んだならば、その因果は自分に同じエネルギーとして還ってくるということです。
人に愛を分け与えたなら巡り巡って愛として自分に還ってくるということです。
本人がそれと気づいていなくても搾取するというエネルギーは本人にとって人生の一部を奪われるという形で還ってきているかもしれません。
例えば病気になって人生がままならなくなる、物理的に警察のお世話になるかもしれない。

でも知識として因果応報をしっていたとしても、
それを実際自分で愛として実践できるかどうかは別なんですよね。
それが意識レベルの違いなのだと私は思います。

私も子供のころかなり意識の低い人間だったのだと思う出来事が最近ありました。
それは実家の自室を片付けていた時のことです。
結婚して8年、実家の自室を片付けずに家を出てしまったのですが、この8年私は片付けというものをしませんでした。
山積みになっているものたちを仕分けしたり処分したりするのも面倒だし中々実家に帰らないし。
見て見ぬふりをしてきた数年間でした。
むしろ結婚する前も片付けとかやったことがなくて、常にものが山積みだったのです。
そんな学生時代からの山積みの荷物を今年の元旦からとうとう断捨離を決意して片付け始めたのです。

片付け始めてみて驚いたのが、人から借りたものが沢山あったということでした。
しかも返却していないばかりか借りてたことすら忘れていたのです。
しかも当時借りっぱなしにしている自分を振り返って思い出してみても、悪いと思っていない!
そんな品物が沢山でてきたのです・・・。
これには自分も驚愕でした・・・。
まさかこんなことして悪いと思っていない自分がいたなんて。
当時借りて返さなかった友人達、本当にすみませんでした、ごめんなさい。
よく当時の周りの友人はそれでも私と仲良くしてくれていたものだと思います。
こんな愛も誠意もない人間だった私に良くしてくれてありがとうございます・・・。

こういった当時の重いエネルギーをずっと蓄積してたんだなぁと片付けながら思いました。
こういったエネルギーも、結局自分に還ってくるのです。

もし、当時の私にこの因果応報という仕組みを懇切丁寧今の私が教えたとしても、
理解できなかっただろうなと思うのです。
だってそもそも返さないのがどれだけ人に迷惑をかけているのかとか、
思ったり考えたりしてないのですから。
たとえ考えてみてもよくわからなかったかもしれません。
だからといって、借りたものを返さなかったら同じことをされるよって言ったとしても、
まぁそれはそれでいいやって思っている節もあったのです。
実際貸したCDを壊されたことがありましたが特に怒ったりしなかった記憶もあります。
だけど、だからといって同じことをしていいというわけではない。
当時の自分をハリセンで叩いて説教したい位ですが、そこを通過して今の私がいるのですよね。

今では誰しもが通る道なのだろうと思っています。
今世ではなくても過去の人生でもっとひどいことをしていたこともあると思います。
ただそれが今か今じゃないかというだけ。
大きな視点で言えばお互い様なのだと思います。

記事で読んだ盗むという行為、
大きな視点ではお互い様ではあるかもしれないけれど、
だからと言ってそのまま盗まれるのを許す、放置するという意味ではないのです。
そんなことしてもお互いの為にならないからです。
それならどうしたらいいのか?を考えた時に、私はその人の意識レベルを上げるのが
一番はやいのでは?と思ったのです。
今理解できないからそれをやっても許されると思っているし同じことを繰り返してしまうのです。
人の気持ちなど理解できないのです。
でも意識レベルを上げられるのはほかならぬ本人なので、
どうやったら強制するのではなく本人が自発的に意識を上げる努力が出来るようになるのか?
そういうトラブルが一番自分や他者を成長させるきっかけになるのは確かなのですが、
それ以外にも何か今の時代、自分の意識に目を向ける大切さを知るきっかけになれることはないだろうか?

そんなことを記事を読んで思いました。
私自身も意識変容のきっかけになったのが自分の病気で自分自身がままならなくなったのと
友人とのトラブルでした。

あの体験は本当に自分にとってとても辛くて苦しくて今までの自分の世界の全てを木端微塵にされた気持ちでした。
自分の世界が何も無くなって、泣きながら海をただよっていたら、偶然知った本の内容にあった
「ありがとうございます」っていう言葉の丸太を見つけてそれにつかまってしばらく漂流してたようなそんな数か月がありました。
心から思っていないかもしれない、だけどまずは言葉から言っていこう、今までの「ごめんなさい、すみません」という口癖をやめて、「ありがとうございます」という口癖に変えていこう・・・。
そう思ってそういうことを実践し始めました。

今思うと、その「ありがとうございます」という言葉を意識して使い始めてから私の意識は変わり始めたように思います。
その言葉があったから私はそれ以上意識が沈むことなく立ち直ることが出来たのだろうと思っています。

そのうち感謝することがどういうことなのか、自分を愛するってどういうことなのかが少しずつ理解できるようになってきました。
この少しずつ理解できるようになっていくのが、人としての意識レベルが上がっていくということなのではないかと思うのです。

私自身、今こうやってブログ内容を書くまで、どうやったら人の意識レベルをその人が自発的にあげることができるんだろう?って見当もつかなかったんですが、
「ありがとうございます」
という言葉をどんどん使っていくのはとても有用なのではないかと思いました。
もっと何か高尚なテクニックみたいなものがあったりしないかなとか漠然と思ってたんだけど、
この感謝の言葉を積極的に使っていく方が簡単に楽に気軽に始められますね。

もし普段言わないな、と思われた方は是非まずは自分自身に「生きていてくれてありがとうございます」
と言ってあげてください。
そしてご家族にも感謝の気持ちを伝えてあげてください。
そうやって愛の循環は始まっていくのです。


長くなりました。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
posted by えみ at 14:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 日々の気付き

2012年11月10日

目に見えないエネルギーに影響されるってどういうことなんだろう

最近ぐっと冷え込んできました。
私は9月初めから自己探究を始め、色々な気付きがありました。
そしてその気付きから色々なことを実践しはじめたり受け入れたりしたことで
どんどん今いる自分の現実が変わってきたように感じます。
まだ体調の面では物理的にはさほど変化はないようにみられますが、
自分の内面としては劇的な変化をしたように感じてます。

自己探究の内容は後日またシェアしたいと思いますが、今日は御連絡もかねて
目に見えないエネルギーというものの影響についての体験を書こうと思います。

まず御連絡ですが、11/17.18に飯田橋で開催される震災チャリティイベントに
参加させていただきます。
詳細はアメブロのこちらのページをご覧下さい
復興支援2012チャリティーラピュタ癒しの文化祭
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当日いらっしゃらない方でも欲しい方がおりましたらアメブロのメッセージから御連絡頂ければ
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チャリティ品は全てお買い上げ頂いた金額をそのまま寄付いたします。

御縁がありましたら宜しくお願い致します。



さて、目に見えないエネルギーについての体験ですが、
最近自分のことについてひとつ分かったことがありました。

それは「私は見えないエネルギーというものにとても敏感である」
というものです。

これに気付いたときに周りのヒーラーさん達にそのことを言ったら
「えっいまさら気付いたの!?」と呆れられました(笑)
自覚してなかったのは本人だけだったようで…

私は霊がみえたりエネルギーが目視出来るわけではありません。
だから自分には霊感などというものは無いと思っていたんです。
だから霊感あったらいいのになぁなどと夢をみていたのです。

ですが、9月に始めた自己探究によって、自分にも自分なりの目に見えないエネルギーというものを
感じ取る方法を持っていたのだということに気付きました。
それが自分の体調不良です。
発作の全てがそれが原因というわけではないのですが、
それらの目に見えないエネルギーというものも確実に
私の体調に影響を及ぼしているのだということにやっと気付きました。

気付いてみればその個性は全く私が期待したものではありませんでしたが、
私は霊感がないのではなくて自分の体調が悪くなるという方法でエネルギーを
ちゃんと感じ取っていたのだということに気付いたんです。

それを明確に自覚する前から、前は出来たのに出来なくなってしまったこと等がありました。
それはバイオハザード等のゲームが出来なくなってしまったことです。
バイオハザードは大好きだったのでよくやりこんだりしてました。
でもゲームやってると動悸がしてきたり息苦しくなってきたりして発作を起こしそうになるんです。
それは映画などでも同様です。
バイオハザードの映画をほんの10分程度テレビで見たとき、同じように発作を起こしそうになりました。
それからはどうもそういったものは私に合わなくなってきたらしい…と感じはじめました。

漫画や本でも同様です。
好きで買っていた単行本も、新作が出たので購入して読んでいると段々具合が悪くなってくる…
同人誌も以前頂いたり買ったりしたものを読んだり仕分けたりしているだけでも具合が悪くなって
お腹を壊したり吐き気がしたり、お腹がパンパンに張ってきたりするんです。

場所も一緒で、特定の場所に行くと足が浮く感じがしたり具合が悪くなってきたり吐き気がしたり、
やっぱりお腹がゆるくなってしまったりするのです。
これを我慢したりしてた時にはそのまま酷くなって発作をおこしていました。

これらの体調不良が低血糖症だからとかパニック発作なのかとか色々悩んでいたのですが、
それだけでは説明がつけ難い事がとても多くなってきました。
そして自己探究でこの体調不良自体が私がエネルギーというものを感じ取って反応を起こしていたのだと
やっと腑に落ちたのです。
これが今の私の現実であり、目に見えないエネルギーを感じ取る私なりの今の方法なのだと
やっと受け入れることが出来ました。

そう受け入れてみると本当に無意識に手に取ったり読んだりすることが自分の身体にも
エネルギー的にも負荷をかけていたのだと感じるようになりました。
本当に読む本や、ブログですらも自分と合わないエネルギーと接触しつづけることの
負担を感じるようになってしまったので、今どうやって自分のこういった体質、個性と付き合っていったらいいのかを試行錯誤しているところです。

霊感がないと思っていた時は安易に見えるようになりたい!などと思っていたけど、
もしかしたらそういう見える=霊感がある、という固定概念をはずした時、
どんな人でも自分なりの目に見えないエネルギー(霊もエネルギーですから)を感じ取る方法を
有しているのではないかと思いました。
それは本当に千差万別でその人なりの感じ方があるのだと思います。
私がそれらを今感じ取る方法が体調不良であるように・・・。

そう感じとれるようになると、自分の住んでいる家の中にそういうものがあるということは
無意識的にそれらの影響をずっと受け続けることになるのだということではないかと思いました。
部屋の乱れは心の乱れなどというけど、
そんな表現は結構優しいもので、
本当は家の中にある全ての物達が自分に影響しているのではないか?
それならば読んだり仕分けたりするだけで具合が悪くなるようなものを
ずっと家に置いておくということがどれだけ自分の肉体やエネルギーフィールドに
負荷をかけているのかということを考えるようになりました。

もしかして私のように無意識にエネルギーを感じ取って体調を崩している人は
家の片付け、断舎利を行うと体調がよくなったりするかも、などと思ったのです。

今、シンプルな生き方を推奨する本や断舎利が流行ってますよね。
少しのものを愛情をかけて大切に使っていく、
私みたいな体調に現れやすい人はそうやってシンプルな生活にしていくのが
身体にも心にも優しく生きられるのかもしれないと思いました。

そんなわけでただ今重い腰をやっと上げて、
仕舞ってあった漫画や本や同人誌を断舎利しようと片づけ中です。
(それで具合悪くなったのですが…)

自分にとって住みやすい環境がどういうものかを自覚すること、
そして自覚したならそういう住みやすい環境を家族と自分の為に作ってあげることも
自分に興味を持ち自分を知り、愛するというプロセスなのだなと思いました。
それは特別なことをするわけではなくて、
本当にただ自分を見つめて自分が心地よいことを実践していくということなんだなと
思ったのです。

最後までお付き合いいただきありがとうございます
愛と感謝を込めて
posted by えみ at 13:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の気付き

2012年08月30日

霊的繋がりを断ち切る〜新たなブログとの出会い〜

8月中旬頃にとあるブログと出会いました。
「思いの制限をひらく」というブログです。
(ブログを書いている方の許可を頂いたのでリンクさせていただきました)
そのブログを読み始めると急激に眠くなりました。
私は書籍やブログで読んでる最中に眠くなるものは波動が精妙で私がついていけないか、
絶対的につまらないかのどちらかだと思っているのですが、
このブログは前者だとすぐにわかりました。(偉そうなこといってすみません)

だってとても面白そうな記事が沢山載っていて休まずにずっと読み続けていたいと
思っても眠くなってしまったり、すぐ意識がそれてしまったり、
身体が何だかうずうずしはじめたりするので中々集中できないのです。

その現象が何故なのかは私には説明できないのですが、自分の知識から考えてみて、
もしかしたらこのブログのエネルギーによって自分の意識の変革がなされることへのエゴの抵抗
であったりするのかな?とも捉えられるかなと思っています。

とにかく少しずつでもと思いそれから毎日時間がある時にずっと読み続けているわけです。
そして今日読んてた記事に「霊的な繋がりを断ち切る」というアファメーション等の紹介があったのですが、
その説明を読んでいて私はドキっとしました。
「霊的な結びつきを愛の結びつきだと思っている人がとても多くてこれを断ち切ることを躊躇する」
と書いてありました。
私も読んでて躊躇したからです。

参考頁「自分に悪影響を与えるものとの「霊的な結びつきを断ち切る」方法」

霊的な結びつきによってエネルギーを奪われたり、身体に影響が出たり、心に影響が出たりと本来不必要な影響がでたりするものだと思います。
その影響自体も私は愛する人のものだったらそれは愛の結びつきなのだと思っていたのだなぁと気付きました。
まさに自分で受け入れてるってことなんですね。

私はここ最近エネルギーに敏感になっていると感じるようになりました。
初めはただ自分の体調が悪く病気だから外出するとすぐ発作が起きるのだと思っていましたが、
特定の場所に行った時の体感を重ねるうちに、
どうも霊的に無防備に外出するからというのも影響があるらしいと判ってからはプロテクションのやり方を
教えてもらったり自分のエネルギーをクリアにするエッセンスを使ったりするようになりました。
勿論肉体的にも快適に楽しく外出できる様にする工夫をしたりと色々試行錯誤中です。

今はそうやって自分を守るという方法を模索しているところですが、最終的にはどこにいっても
誰と会ったりしても影響されない自分になる事が目標です。
そうしないと後々私がやりたいと思っていることが実践出来ないからです。

そんな目標をもってるくせに、私は愛する人との霊的繋がりは断ち切りたくないと躊躇したんです。
衝撃的でした。
自立したいと願っているのにまだ依存していたい、甘えていたいと思っているのです。
自分の覚悟とはそんなものなのか、と改めて認識しました。

話は少しそれますが私は去年末からずっと左の人差し指が痛くて朝起きると曲がらなくなってるという
現象が数ヶ月続いたことがありました。
その相談を整形外科や友人やセッションなどでしてみて、お墓参りにいく必要があると言われたので
母方のお墓まいりに1人で行って、その場を浄化しておじいちゃん達と話してきたことがあったりしました。
それから徐々に指の痛みが気付いたら無くなってきていたので、やっぱりお墓まいりに行くことが必要だったのかしら?と思っていたのですが、
その後霊視できる方のセッションを受けた時に指の痛みの話しをしたら、
それはお母さんと繋がっているからお母さんが不安なことがあるとその指が傷むんだ、
といわれたのです。
私は妙に納得して、この指が痛くなったら母が不安なことがあるサインと思えばいいんだ!
痛いけど便利じゃない!と思ったのです。

今思うと、それって霊的繋がりを愛の結びつきだと勘違いしてがっつり受け入れてるってことなんじゃ?
と今日ブログ記事を読みながら思ったのです。
確かに指が痛くなったら母が何か困ってると判るのは便利かもしれないけれど、
もしこれが霊的繋がりによるもので、指が痛くなるだけじゃなくて自分自身に他にも色々影響しているかもしれない、ってことですよね。
それは楽かもしれないけれど、お互いの為になるのか?
私が繋がっていることで私の体調等に悪影響が出たとしてそれを母が心配するのでは意味が全く無いわけで、
断ち切ることに躊躇はしたけれど、この記事を今読んだことにも意味があるのならば、
今、母とのこの霊的繋がりを断ち切る決意をしなければならないと感じました。
霊的繋がりを断ち切っても愛の絆が切れるわけではない。

そう自分に言い聞かせてそこに書いてある「祈り」を実践してみました。
すると祈りの文章を読み始めた途端私の意識が抵抗を始めたのか涙がボロボロと出始めました。
私はそれに負けるかという決意を込めて泣きながら祈り続けました。
祈りながら私はこんなに母親との繋がりが強かったんだなぁと実感したのです。
その霊的な繋がりを愛情だと思っていたんですね。
手放すのが悲しくて、悲しくて、まだ親元で甘えたいという気持ちもあって。

それでも今私はここで霊的繋がりを断ち切る、と決めたのです。

暫くして涙もとまり、祈りもおわりました。
実践してみて、まだ実感はないけど涙が出たってことはそこに霊的繋がりが存在していて、
かつそれを自分が手放したくないということだったんだな、と感じました。

少し前に霊的繋がりのコードカットが必要です、というチャネリングメッセージを受け取っていたのですが、
それはこれからセッションをしていったりする上で他人からの不必要なコードをつなげっぱなしにしないように、という意図なのかと思っていました。
勿論それもあるだろうけど、このような身内や愛する人とのコードも本来は必要ないということを今回知る機会になった気がします。
正直なところまだコードが不必要だとわかってもそれが腑に落ちるところまでいっていません。
まだそれを愛情とか絆だと思ってる部分があるみたいです。
いつか近い未来にこのことが納得できますように。

日々の気付きに感謝を込めて
posted by えみ at 16:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の気付き

2012年08月20日

天然石に思うこと

昨日のことです。
丁度親しくさせていただいているヒーラーさんと電話でお話しをしていた時でした。
簡単なカードリーディングをしていただいたのですが、大きな水晶のカードがでたとのことでした。

その後そのカードについて降りてきたメッセージ等をシェアしていただいたのですが、
話しているうちに、突然私の中で天然石に対する固定概念のようなものがあることを認識したのです。

それは天然石の本等に書いてある効用に準じていなければならない、
というものでした。
私は天然石を使ってアクセサリーを作るときに特に効用や効果をあまり参考にして作ったりしません。
これが好き、この組み合わせが綺麗、これがしっくりくる、等で作ることが多いのです。
だから出来たアクセサリーに付加価値をつけるかのように後付で石の効果を書いてみたりしたこともありましたが、何かダサいっていうか違うんだよなぁ・・・と思っていたんです。
そしてうーん・・って思ってるからか、イベント等でアクセサリーを展示しても売れたことが無いんです。

でも最近はそういう悩み?というか葛藤のような物を奥底に沈めてとりあえずアクセサリー作るの楽しいからやってよう、みたいに思ってる部分があったんだと思います。
そして昨日クリスタルについてのメッセージを受けてたときに、突然それらの忘れかけてたことが浮上し
光明がみえたというか何だか判ったことがあったんです。

それは
必ずしも本に載っているようなパワーストーンの意味に準じなくてもいいんだ、
ということ。
私は石からたまにチャネリングでメッセージをおろすことがあります。
今は主に自分の為にメッセージを貰ってるだけでした。
そしてこれからもそうやってメッセージをおろしていくと、
必ずしもそのメッセージと世間一般でいう石の効用が同じかというと
違うことの方が沢山石とはなしたら多くなってくると思うのです。
私はそれが無責任であったりチャネリングが間違ってるといわれるんじゃないかということが怖くて
人の為に石のメッセージをおろすということを躊躇していました。
だってそこには責任がついてくるからです。

だけどそんなこと怖がる必要ないんだって、何か突然判ったのです。
私がメッセージをおろした石が必要な人がいたら、その人のもとへその石は行くはずだからです。
そして本に準じた意味の石やアクセサリーが欲しいなら、その人達はその分野のお店や作家さんから譲っていただけばいいだけのことだったんですね。
私は私の方法で石と交流して私なりの方法でその石達を必要な人のもとへ送り出せばいいんだということが判ったんです。
その方法は本に準じる必要はないんだと。

多分自分を否定されるのが怖かったんです。

前に漫画を描いていた頃、私は親友に自分の漫画を否定されていました。
それでも自分の依存心から相手と離れることよりも辛くても一緒にいることを選びました。
何故かというとその方が利益がでるからです。
今思うと何で否定され続けてるのに我慢してでも一緒にいることが出来たのか…。
それは依存以外の何者でもなかったように感じます。
依存とはそれほどまでに相手にしがみついてしまうものなんですね。

そしてそんな辛い思いをもうしたくない否定されたくないって気持ちが
気付かない部分にあったように思います。
そんな経験がなくても普通に否定されたくないっていう気持ちは持っていたと思いますが。
その後も嫌われたくないと思って行動してても知らない間に嫌われることがあるということも知りました。
それなら人に好かれようなんて行動する必要は無いじゃないか、自分にもっと素直であってもいいんじゃないかと思うようになりました。

そして昨日、石にたいしての気持ちも同じような課題だったのだなぁと気付いたんです。
私がおろしたメッセージを否定されたくないから今までやってなかった。
やるのを躊躇してた。
だってチャネリングを否定されたら、私が漫画の世界で居場所をなくして自分の世界が全て崩壊して、
ボロボロの状態から今の精神世界に興味を持ち勉強して、
今まで頑張ってきたことが無駄になってしまうと思ったから。

だけどそんなことを怖がってもそれは幻想でしかない。
だってどこにいっても何をやっても必ず自分と相反する考えの人はいる。
学びの課程が違う人、向いてる方向が違う人、色々いる。
私が知らないところで妬む人だってうらやむ人だって沢山いる。
その人の反発を恐れて怖がって萎縮していても意味がないんだと、
やらなかったら反発もないかもしれないけれど、私の成長も他者への貢献もない。

ならば自分の成長のために、それが人への貢献の為の礎となるならば
世間の常識に準じなくてはならないという考えはやめてみようと思ったんです。
もっと自分が心で感じたものを素直に受け止めて、
それを勇気をだして表現してみてもいいのではないか、
自分を信頼したいと思いました。

自分のチャネリングによってもたらされたメッセージも、
私が信頼していなければ人に分けられないじゃないかと。
世間の常識は無常であり、ずっと同じということはないのだから
今は石とはこういう意味だと書いてあったとしても、数年後は判らない。
それなら今の私が出来ることを自分を信頼して提供していった方が
いいんじゃないかと思いました。

こんな長く説明っぽいの書いたけど、ひらめいた時はほんとに一瞬でパワーがぶわぁって
なって世界が明るく開けたー!って感じただけです。
それを後々噛み砕くとこんなかんじ、みたいな。

作品に付加価値をつけて値段を高くして売れるようになりたいなんて思うんじゃなく、
その石からのメッセージをつけることで本当にその石とご縁のある人とめぐり合えるように
その役にたてますように。
貴方が幸せになる為のきっかけになれますように。

そんな思いを込めて今度アクセサリーを作るときは石からのメッセージをつけてみようかなと
思いました。

最後まで読んでくださってありがとうございます
日々の気付きに感謝を込めて
posted by えみ at 12:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の気付き

2012年08月16日

突然の気付き

お久しぶりです。
今日は昨日の出来事なんかを書こうと思います。
昨日8月15日に仲良くしていただいているヒーラーさんの御家に遊びに行かせて頂きました。
引っ越して1周年祝いに手作り料理等を持ち寄っての集まりだったのですが、
その行く道中、バスに乗ってボーっとしていたら何だか突然湧き上がってきた考えがありました。

私はここ最近ずっとパニック発作やら機能性低血糖障害やらと言われてよく外出時に発作をおこす体質というか持病ができてしまったわけなのですが、もしかしてこれって私が愛が足りないと思ってて皆に構って貰いたい、愛を与えて貰いたいと無意識に思ってる部分があるんじゃないの?
と、思ったのです。

だけど知識では自分は1人じゃなくて見えない存在達が私と共に常にいて導いてくれているのも判っているわけです。
それなのに孤独で愛が足りないと餓えているのか?判ってなかったのか?と感じたのです。
勿論自分だけで完結するのではないことも、愛を分かち合う喜びであったりそういうものも必要なのは判っているつもりですが、それは自分が愛が足りないから愛が欲しいから分かち合うものではないと思うのです。前提が違うのです。
なんという構ってチャン体質だよ、と思わず思ってしまいました。
昔からそう人から言われてもいたし、病気になったりするのは構って欲しいからだといわれたこともあります。
そんなことない!病気はこんなに苦しいのに何で構って欲しいからってだけでこんな苦しまないといけないんだ、と思う気持ちの方が強かったんです。

認めたくなかった。

だけど、ボーっとしてたときにそういう考えが浮かんできたんです。
愛が欲しいから病気なのかもって。
勿論それだけが病気の原因ではないことも判っています。
自分の身体にもっと意識や興味を向ける必要があったということも今では理解していますし、
他にも沢山の病気になる必要があった理由も自分で納得している部分もあります。

だけど愛されたいから、愛を与えられたいからという理由だけは気付かないようにしてたきがする。

そしてそう思ったあとに、じゃあ私は愛が足りないと思ってるのか?と考え始めました。
知識として、ガイド達が私についていてくれて、常に愛を注いでくれているのを知っています。
知ってるけど実感して無いってこと?腑に落ちてないってこと?

そんなことを考えてましたが、その時また本当に突然、私は私が感じることさえできれば
愛で充たされているんだということが何か突然判ったのです。

私が家にいてもいなくても、どこにいても私は愛されている。

何故ならガイド達は私と共にあるから。
私は1人ではなく私が感じることができるなら愛は既に私の周りに充たされているのだと、
何か突然理解したのです。

私が愛が足りないと感じているのは、私が常に愛に充たされていると気付いて無いだけなんですね。
私が1人で発作を起こして苦しんでいたとしても、本当は1人で苦しんでいるのではない。
見えない存在達は苦しむ私の側で自分の事のように心を痛め、それでも私が乗り越えると信頼して
見守ってくれてるのだと思うのです。
もしかしたら自分の事以上のこととして私を苦しみながらみてくれているのかもしれません。
私は最近チャネリングを通じてハイアーセルフという存在は私よりもよっぽど私という存在を理解していて
親よりも私にとって近しい存在だと思うようになりました。

でも辛い時って自分の辛い部分に捕らわれてしまっていて周りなんかみえないんです。
だからすっかりそういうことを忘れてしまう。
だけど、私が思い出すだけで、私が愛を感じようと心を感覚を開くだけで、
本当は愛に充たされているんだと判るはずなんだということに気がつきました。

私がどこにいようとも私は愛され愛に充たされているんだと理解したんです。

そう思ったとき、バスの中なのに涙がぶわぁぁぁぁっ溢れてきちゃって、
さすがにここでいきなり号泣はまずい!と泣き止むのに必死でした(笑)
これは気づきの涙だったのかなぁ。
気付けたことが嬉しくて出た涙だったような気がしています。
私は愛されているんだ、ひとりじゃないんだ、とうっすらと実感としてやっと判ってきた第一歩という感じでした。


そんな至福の気持ちの中、遊びにいったのですが、またその日に限って結構酷い発作を起こしてしまったんです。
よりにもよって人の家で・・・。
段々具合が悪くなってきて、おなかも痛いし緩いし吐き気も酷くなってきた・・・
というあたりで皆さんが心配してくださって皆でヒーリングしてくれました。
むしろ色々中に入り込んでたようで(御先祖様とか色々・・・)
それをひたすら抜いていただきました。
丁度先週仙台の夫側の祖母が他界したので告別式に行って来たばかりでした。

私は私に出来ることがあるんじゃないかとひたすらスピクリでヒーリングをずっとしていました。
祖母の告別式のときもずっとヒーリングしていました。
お婆さんが先に他界したお爺さんと再会して本当に幸せそうにしてる姿が見えて涙したりもしました。

私はそういうことができると、ヒーリングで何でもかんでも助けたいと傲慢になっている部分があったんだと思います。
自分で何でもしてあげたい、どうにかしてあげたいと思い上がっていました。
それを今回の発作で思い知らされた気がしました。
私には全てを救うことはできないのだと。
得手不得手があって、自分に出来ることと出来ないことを見極める必要があるのだと。
それがまだまだ甘いと言われました。
ヒーリングのエネルギーは無限にあっても、使う私が消耗することに変わりはないんだと。

いくらプロテクションを覚えても、自分からエネルギーの回路を開きっぱなしにしていたら意味がないことも改めて判った気がします。
そして自分を認めることの大切さも。

帰宅途中も発作が酷くて迎えに来てくれた夫にも迷惑をかけてしまいました。
あんな顔をさせてしまったのは私が苦しみに捕らわれてしまっていたから。

体調的には本当にボロボロで酷いものでしたが、改めて思い返すと沢山の気付きがあった日でした。

そしてこの日、出かける前に引いた大天使ラファエルのオラクルカードは
「DIVINE INTERVENTION」

聖なる介入

というカードでした。

・サインや直感に注意を払うように。
それは答えへの道しるべとなる聖なるガイダンスです

・よく見ればどの問題にも目に見えない祝福があることに気付く

そんな意味があるそうです。
一日がおわってみると、確かに色々な気付きは聖なる介入だったのかも。
聖なる介入のタイミングや方法は、大抵驚くべき形で起こるらしいとも書いてありました。
ほんとにもう突然というか驚くべきっつーか苦しいっつーの!辛いっつーの!という出来事でしたよ。

苦しい出来事だけれども気付きという祝福が沢山あったんですよね。

皆さん、聖なる介入というカードが出たら、
何か素晴らしい出来事が突然起こって幸せになる、とか
夢見がちにならず、地に足をつけて起きた現実を受け入れる心の準備をしておいた方がいいですよ。
きっとその先に行ってみたらそれは素晴らしいギフトだと気付くのだと思うのです。



最後までよんでいただきありがとうございます
愛と感謝を込めて
posted by えみ at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の気付き