2013年04月11日

後日談

そういえば昨年の11月に書いた友人から頼まれていた案件がどうなったのかを
書くのを忘れておりました。
なんのことかはこちらから

当時の記事の通り、お話を受けてまずは行動してみたのです。
するとあっさりと縁が終わりました(笑)
あの葛藤はなんだったのー!という感じです。
まさに葛藤するためにあったイベント、みたいな感じです。

話は少しかわりますが、実はこの話を受けた直後あたりからペタルトーンエッセンスのウェイトロスセットというものを使い始めたんです。
このウェイトロスセット、体重を減らすというよりも本人が抱えてるカルマを解放したり、不必要なエネルギーコードを切るという作用もかなりありまして、これを使い始めて件の仕事をすすめたら、あっけなくイメージに合わないね、ってことで話が流れたのでした。
やってみてダメだったのなら仕方ないね!ということで終了。

良い勉強になりました。
前の私だったら合わないなんて言われて仕事が流されたら、このやりきれない私の気持ちのいきばしょが!!とかどうせこの程度の絵柄ですからね、なんて落ち込んだかもしれません(笑)

それが今回あっさりと仕方ないね!で気持ちを切り替えることが出来ました。
だって自分の力量を示して向うが合わないと判断したならば、ご縁がなかったってことだし仕方がない。

そんなわけで、流れに任せた結果は必ずしも世間的に「成功」といわれるような結果になるわけではない、
ということが分りました。
だけど私にとっては色々な学びがありました。
流れに任せること、エゴをいれないことや葛藤、他にも色々な気づきがあったと思います。
それは世間的な意味合いで成功することよりも、とても私にとっては重要で大切なことでした。

そんな学びと経験が出来る機会をくれた友人に感謝です。
ありがとうございますハートたち(複数ハート)
posted by えみ at 17:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の気付き

2013年03月29日

意識レベルをどうやったら上げることができるのか?

さっきツイッターでフォロワーさんが呟いてた記事を拝見して、
ふと興味が湧いて他の関連記事も読んでいました。
内容は「泥棒する人達」に関しての記事でした。
私が読んだ記事は主に子供がいる母親がやらかした内容だったのですが、
その内容を読んでいると目を疑うものばかりで、全てが真実ではないとしても
あまりの意識レベルの低さに驚愕しました。
この場合の意識レベルというのは救急で言われるような部類のものではなく、
いわゆる人間としての意識ということになります。

少し脱線しますが、意識レベルについて。
私は読んだことがないのですが、「パワーカフォースか」というデヴィッドRホーキンズ著の本があり、
他のサイト等でもよく意識レベルの分かれ目は200で1000が悟りの領域だ、と言われているようです。
私も以前にセミナーでそう教わったこともあってこれを基準にしていましたが、
最近は、特に去年の12月以降はこの1000という基準も変わってきているように思います。
もっともっとこの基準が大きくなったような感じがするのです。
例えば今まで600位の意識の人が今年に入ってからは900位にまで上がっていたりするのです。
だからといって日常生活が悟りのような生活になっているのか?と思うかもしれませんが
みるかぎり今までと全くかわりません。
病気もするしそれを不安に感じたりもする、怒ったりもするしイライラしたりもする。

これは私の今の意識レベルで調べたことなので私にとっての真実ということになりますが、
今まで限定されていた意識のレベルが大きく解放されたという感じなのかな?と思っています。
今まで上に見えない蓋をされてて意識を上げることが中々できなかったのが、
蓋が外されたことで今までよりも簡単に意識が上がるようになった。とか。
そんな風に感じます。
だからどんどん上がっていく人はどんどん意識が上がっていくだろうし、今までと変わらない人も
それでも自然と上がって行ってしまう。
上がりたくない人は今までと変わらない。
だからこその意識の格差みたいなものが広がってしまうのかもしれない、と感じました。

少し前にアカシックレコードに行くという瞑想を友人の誘導瞑想でしたことがあったのですが、
その時に私は5年後、10年後の世界はどうなっているの?と覗いてみました。
覗いた世界では、詳しいものがみえたのではなく、天国と地獄が同時に存在する、という認識だけでした。
瞑想をした当時はどういうことがいまいちよくわからなくて、意識の格差みたいなのが大きくなっているみたいだ、と思ったのですが。
改めて今日このブログを書きながら意識レベルというものを考えた時に、上の蓋が空いて上がる人はどんどん上がってしまう、と書いてて
「ああ、このことなのか」と思いました。

同じ現実でも、光を向いて生きている人と闇を向いて生きている人とでは天国と地獄程に
世界の見え方捉え方は違うのでしょうね。
でもどちらを選ぶのかも本人が決めていることですし、闇を向いているからそれは悪だとは
私は判断しません。それも本人にとって必要な学びなのかもしれないからです。
そして私にも誰にもその人の人生を変えることはできないのです。


さて話をもどしましょう。
先程言ってた泥棒するっていう記事を何ページ分か読みました。
内容はすべてが本当ではないだろうと思っていますが、それでも驚愕するというか
教育が進んでいる日本人にもこんなに意識が低い人たちがいるのか・・・しかも母親になってまで・・。
と残念な気持ちになりました。
もう、読んでるとみぞおちとハートと喉の辺りが重苦しくなってきて辛くなってきて、
これ以上読むと発作を起こすと思ってやめたのですが、
ブログを閉じたらその苦しく不快な感覚はスーッと軽くなりました。
ブログで読むだけでもこれだけの負荷を感じるエネルギーであるならば、
当事者達はどれだけのマイナスエネルギーの負荷を自分たちにかけているのだろうか?と思いました。

因果応報という言葉があります。
自分で巻いた種は自分で刈り取る、
つまり人から何かを盗んだならば、その因果は自分に同じエネルギーとして還ってくるということです。
人に愛を分け与えたなら巡り巡って愛として自分に還ってくるということです。
本人がそれと気づいていなくても搾取するというエネルギーは本人にとって人生の一部を奪われるという形で還ってきているかもしれません。
例えば病気になって人生がままならなくなる、物理的に警察のお世話になるかもしれない。

でも知識として因果応報をしっていたとしても、
それを実際自分で愛として実践できるかどうかは別なんですよね。
それが意識レベルの違いなのだと私は思います。

私も子供のころかなり意識の低い人間だったのだと思う出来事が最近ありました。
それは実家の自室を片付けていた時のことです。
結婚して8年、実家の自室を片付けずに家を出てしまったのですが、この8年私は片付けというものをしませんでした。
山積みになっているものたちを仕分けしたり処分したりするのも面倒だし中々実家に帰らないし。
見て見ぬふりをしてきた数年間でした。
むしろ結婚する前も片付けとかやったことがなくて、常にものが山積みだったのです。
そんな学生時代からの山積みの荷物を今年の元旦からとうとう断捨離を決意して片付け始めたのです。

片付け始めてみて驚いたのが、人から借りたものが沢山あったということでした。
しかも返却していないばかりか借りてたことすら忘れていたのです。
しかも当時借りっぱなしにしている自分を振り返って思い出してみても、悪いと思っていない!
そんな品物が沢山でてきたのです・・・。
これには自分も驚愕でした・・・。
まさかこんなことして悪いと思っていない自分がいたなんて。
当時借りて返さなかった友人達、本当にすみませんでした、ごめんなさい。
よく当時の周りの友人はそれでも私と仲良くしてくれていたものだと思います。
こんな愛も誠意もない人間だった私に良くしてくれてありがとうございます・・・。

こういった当時の重いエネルギーをずっと蓄積してたんだなぁと片付けながら思いました。
こういったエネルギーも、結局自分に還ってくるのです。

もし、当時の私にこの因果応報という仕組みを懇切丁寧今の私が教えたとしても、
理解できなかっただろうなと思うのです。
だってそもそも返さないのがどれだけ人に迷惑をかけているのかとか、
思ったり考えたりしてないのですから。
たとえ考えてみてもよくわからなかったかもしれません。
だからといって、借りたものを返さなかったら同じことをされるよって言ったとしても、
まぁそれはそれでいいやって思っている節もあったのです。
実際貸したCDを壊されたことがありましたが特に怒ったりしなかった記憶もあります。
だけど、だからといって同じことをしていいというわけではない。
当時の自分をハリセンで叩いて説教したい位ですが、そこを通過して今の私がいるのですよね。

今では誰しもが通る道なのだろうと思っています。
今世ではなくても過去の人生でもっとひどいことをしていたこともあると思います。
ただそれが今か今じゃないかというだけ。
大きな視点で言えばお互い様なのだと思います。

記事で読んだ盗むという行為、
大きな視点ではお互い様ではあるかもしれないけれど、
だからと言ってそのまま盗まれるのを許す、放置するという意味ではないのです。
そんなことしてもお互いの為にならないからです。
それならどうしたらいいのか?を考えた時に、私はその人の意識レベルを上げるのが
一番はやいのでは?と思ったのです。
今理解できないからそれをやっても許されると思っているし同じことを繰り返してしまうのです。
人の気持ちなど理解できないのです。
でも意識レベルを上げられるのはほかならぬ本人なので、
どうやったら強制するのではなく本人が自発的に意識を上げる努力が出来るようになるのか?
そういうトラブルが一番自分や他者を成長させるきっかけになるのは確かなのですが、
それ以外にも何か今の時代、自分の意識に目を向ける大切さを知るきっかけになれることはないだろうか?

そんなことを記事を読んで思いました。
私自身も意識変容のきっかけになったのが自分の病気で自分自身がままならなくなったのと
友人とのトラブルでした。

あの体験は本当に自分にとってとても辛くて苦しくて今までの自分の世界の全てを木端微塵にされた気持ちでした。
自分の世界が何も無くなって、泣きながら海をただよっていたら、偶然知った本の内容にあった
「ありがとうございます」っていう言葉の丸太を見つけてそれにつかまってしばらく漂流してたようなそんな数か月がありました。
心から思っていないかもしれない、だけどまずは言葉から言っていこう、今までの「ごめんなさい、すみません」という口癖をやめて、「ありがとうございます」という口癖に変えていこう・・・。
そう思ってそういうことを実践し始めました。

今思うと、その「ありがとうございます」という言葉を意識して使い始めてから私の意識は変わり始めたように思います。
その言葉があったから私はそれ以上意識が沈むことなく立ち直ることが出来たのだろうと思っています。

そのうち感謝することがどういうことなのか、自分を愛するってどういうことなのかが少しずつ理解できるようになってきました。
この少しずつ理解できるようになっていくのが、人としての意識レベルが上がっていくということなのではないかと思うのです。

私自身、今こうやってブログ内容を書くまで、どうやったら人の意識レベルをその人が自発的にあげることができるんだろう?って見当もつかなかったんですが、
「ありがとうございます」
という言葉をどんどん使っていくのはとても有用なのではないかと思いました。
もっと何か高尚なテクニックみたいなものがあったりしないかなとか漠然と思ってたんだけど、
この感謝の言葉を積極的に使っていく方が簡単に楽に気軽に始められますね。

もし普段言わないな、と思われた方は是非まずは自分自身に「生きていてくれてありがとうございます」
と言ってあげてください。
そしてご家族にも感謝の気持ちを伝えてあげてください。
そうやって愛の循環は始まっていくのです。


長くなりました。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
posted by えみ at 14:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 日々の気付き

2012年11月23日

ハイアーセルフに言われたこと

今日友人から頼まれた案件がありました。

その件について私は見返りをどうしても考えてしまう自分がいて、
それがもやもやすっきりしなくて、このまま簡単にお返事をしてはいけないと感じました。
私がそのもやっとした気持ちのままに承諾してその仕事を請けてしまったとしたら
多分その私がやった仕事にはそのもやっとしたものが反映して結果として自分に還ってくると思ったからです。
それではいかんと思って、ハイアーセルフに問いかけることにしました。

私の本音を心の中で吐き出しました。涙がでました。
物質主義にとらわれている自分がいる、頭でわかってることがどうしても心からの
行動として伴えないもどかしさ。
その問いかけへのメッセージはざっくり言うと下記のようなものでした。


宇宙の本来の流れ(愛とか光とか調和とか)に身を委ねるとは
人にとってとても勇気と行動が必要なことである。
なぜならば自我というものが本来の自分の姿を忘れているから。
流れに委ねることは本来の姿を忘れている人にとって苦痛と感じることである

自我というもので本来の自分というものを歪めてしまっている。
川に身を任せる魚なのに、思い込みによって陸へあがろうとしているようなもので、
陸に上がろうとすることで新たな苦しみを生み出す。
そこで守ろうとしているものは自我による幻想の尊厳である

本来の尊厳とは自分が魚であるということを思い出すということだ。
私が人々にそれをどうやって伝播していくか、それはまず自分自身が本来の流れに委ねる、
本来の自分を思い出すことを体現していくことから始まっていく。



私が今迷っているこのもやっとしたものは、流れに逆らう自我の抵抗の一端なのだと思いました。
私は本来の流れに身を任せるのに不安を感じて抵抗しているのだとその時に感じました。
その不安とは何なんだろう?
本来安心できるその流れに身を任せることが怖いと感じる。
私はまだ幻想の観念を手放せないでいるのだなと。
私はその頼まれた仕事を流れに身を任せエゴを手放した状態で勇気をだしてやってみようと思いました。
見返りを求めるのではない、だからといって無償奉仕をするという意味ではなく、
私がそれを経験してみたいから、私の成長の為にさせていただこうと思いました。

それ(流れに委ねて行動する)をすることが自分にとってどのような結果になるか、そして人にとってどのような結果になるかを体験してみようと思いました。


その結果を見届けたら、また記事に書こうと思います。


最近は自分の心が何に反応するのだろうと自分の心の機微や体の変調を感じることに
とても興味が湧きました。
そしてそれらのもやっとしたものをみつけたときに、自分に問いかけていくこと、
そういうことをやりたいと思えるようになった自分がとても嬉しいと感じています。
自分から逃げないで色々なことに向き合って生きたいと思います。

posted by えみ at 21:00| Comment(0) | TrackBack(0) | チャネリング

2012年11月10日

目に見えないエネルギーに影響されるってどういうことなんだろう

最近ぐっと冷え込んできました。
私は9月初めから自己探究を始め、色々な気付きがありました。
そしてその気付きから色々なことを実践しはじめたり受け入れたりしたことで
どんどん今いる自分の現実が変わってきたように感じます。
まだ体調の面では物理的にはさほど変化はないようにみられますが、
自分の内面としては劇的な変化をしたように感じてます。

自己探究の内容は後日またシェアしたいと思いますが、今日は御連絡もかねて
目に見えないエネルギーというものの影響についての体験を書こうと思います。

まず御連絡ですが、11/17.18に飯田橋で開催される震災チャリティイベントに
参加させていただきます。
詳細はアメブロのこちらのページをご覧下さい
復興支援2012チャリティーラピュタ癒しの文化祭
物販でワイヤーアートジュエリーも販売しますのでこちらも興味ありましたら
御覧になってくださいませ。
当日いらっしゃらない方でも欲しい方がおりましたらアメブロのメッセージから御連絡頂ければ
送料一律600円で通販もできます。
チャリティ用ワイヤーアートジュエリーその1
チャリティ用ワイヤーアートジュエリーその2
チャリティ品は全てお買い上げ頂いた金額をそのまま寄付いたします。

御縁がありましたら宜しくお願い致します。



さて、目に見えないエネルギーについての体験ですが、
最近自分のことについてひとつ分かったことがありました。

それは「私は見えないエネルギーというものにとても敏感である」
というものです。

これに気付いたときに周りのヒーラーさん達にそのことを言ったら
「えっいまさら気付いたの!?」と呆れられました(笑)
自覚してなかったのは本人だけだったようで…

私は霊がみえたりエネルギーが目視出来るわけではありません。
だから自分には霊感などというものは無いと思っていたんです。
だから霊感あったらいいのになぁなどと夢をみていたのです。

ですが、9月に始めた自己探究によって、自分にも自分なりの目に見えないエネルギーというものを
感じ取る方法を持っていたのだということに気付きました。
それが自分の体調不良です。
発作の全てがそれが原因というわけではないのですが、
それらの目に見えないエネルギーというものも確実に
私の体調に影響を及ぼしているのだということにやっと気付きました。

気付いてみればその個性は全く私が期待したものではありませんでしたが、
私は霊感がないのではなくて自分の体調が悪くなるという方法でエネルギーを
ちゃんと感じ取っていたのだということに気付いたんです。

それを明確に自覚する前から、前は出来たのに出来なくなってしまったこと等がありました。
それはバイオハザード等のゲームが出来なくなってしまったことです。
バイオハザードは大好きだったのでよくやりこんだりしてました。
でもゲームやってると動悸がしてきたり息苦しくなってきたりして発作を起こしそうになるんです。
それは映画などでも同様です。
バイオハザードの映画をほんの10分程度テレビで見たとき、同じように発作を起こしそうになりました。
それからはどうもそういったものは私に合わなくなってきたらしい…と感じはじめました。

漫画や本でも同様です。
好きで買っていた単行本も、新作が出たので購入して読んでいると段々具合が悪くなってくる…
同人誌も以前頂いたり買ったりしたものを読んだり仕分けたりしているだけでも具合が悪くなって
お腹を壊したり吐き気がしたり、お腹がパンパンに張ってきたりするんです。

場所も一緒で、特定の場所に行くと足が浮く感じがしたり具合が悪くなってきたり吐き気がしたり、
やっぱりお腹がゆるくなってしまったりするのです。
これを我慢したりしてた時にはそのまま酷くなって発作をおこしていました。

これらの体調不良が低血糖症だからとかパニック発作なのかとか色々悩んでいたのですが、
それだけでは説明がつけ難い事がとても多くなってきました。
そして自己探究でこの体調不良自体が私がエネルギーというものを感じ取って反応を起こしていたのだと
やっと腑に落ちたのです。
これが今の私の現実であり、目に見えないエネルギーを感じ取る私なりの今の方法なのだと
やっと受け入れることが出来ました。

そう受け入れてみると本当に無意識に手に取ったり読んだりすることが自分の身体にも
エネルギー的にも負荷をかけていたのだと感じるようになりました。
本当に読む本や、ブログですらも自分と合わないエネルギーと接触しつづけることの
負担を感じるようになってしまったので、今どうやって自分のこういった体質、個性と付き合っていったらいいのかを試行錯誤しているところです。

霊感がないと思っていた時は安易に見えるようになりたい!などと思っていたけど、
もしかしたらそういう見える=霊感がある、という固定概念をはずした時、
どんな人でも自分なりの目に見えないエネルギー(霊もエネルギーですから)を感じ取る方法を
有しているのではないかと思いました。
それは本当に千差万別でその人なりの感じ方があるのだと思います。
私がそれらを今感じ取る方法が体調不良であるように・・・。

そう感じとれるようになると、自分の住んでいる家の中にそういうものがあるということは
無意識的にそれらの影響をずっと受け続けることになるのだということではないかと思いました。
部屋の乱れは心の乱れなどというけど、
そんな表現は結構優しいもので、
本当は家の中にある全ての物達が自分に影響しているのではないか?
それならば読んだり仕分けたりするだけで具合が悪くなるようなものを
ずっと家に置いておくということがどれだけ自分の肉体やエネルギーフィールドに
負荷をかけているのかということを考えるようになりました。

もしかして私のように無意識にエネルギーを感じ取って体調を崩している人は
家の片付け、断舎利を行うと体調がよくなったりするかも、などと思ったのです。

今、シンプルな生き方を推奨する本や断舎利が流行ってますよね。
少しのものを愛情をかけて大切に使っていく、
私みたいな体調に現れやすい人はそうやってシンプルな生活にしていくのが
身体にも心にも優しく生きられるのかもしれないと思いました。

そんなわけでただ今重い腰をやっと上げて、
仕舞ってあった漫画や本や同人誌を断舎利しようと片づけ中です。
(それで具合悪くなったのですが…)

自分にとって住みやすい環境がどういうものかを自覚すること、
そして自覚したならそういう住みやすい環境を家族と自分の為に作ってあげることも
自分に興味を持ち自分を知り、愛するというプロセスなのだなと思いました。
それは特別なことをするわけではなくて、
本当にただ自分を見つめて自分が心地よいことを実践していくということなんだなと
思ったのです。

最後までお付き合いいただきありがとうございます
愛と感謝を込めて
posted by えみ at 13:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の気付き

2012年08月30日

霊的繋がりを断ち切る〜新たなブログとの出会い〜

8月中旬頃にとあるブログと出会いました。
「思いの制限をひらく」というブログです。
(ブログを書いている方の許可を頂いたのでリンクさせていただきました)
そのブログを読み始めると急激に眠くなりました。
私は書籍やブログで読んでる最中に眠くなるものは波動が精妙で私がついていけないか、
絶対的につまらないかのどちらかだと思っているのですが、
このブログは前者だとすぐにわかりました。(偉そうなこといってすみません)

だってとても面白そうな記事が沢山載っていて休まずにずっと読み続けていたいと
思っても眠くなってしまったり、すぐ意識がそれてしまったり、
身体が何だかうずうずしはじめたりするので中々集中できないのです。

その現象が何故なのかは私には説明できないのですが、自分の知識から考えてみて、
もしかしたらこのブログのエネルギーによって自分の意識の変革がなされることへのエゴの抵抗
であったりするのかな?とも捉えられるかなと思っています。

とにかく少しずつでもと思いそれから毎日時間がある時にずっと読み続けているわけです。
そして今日読んてた記事に「霊的な繋がりを断ち切る」というアファメーション等の紹介があったのですが、
その説明を読んでいて私はドキっとしました。
「霊的な結びつきを愛の結びつきだと思っている人がとても多くてこれを断ち切ることを躊躇する」
と書いてありました。
私も読んでて躊躇したからです。

参考頁「自分に悪影響を与えるものとの「霊的な結びつきを断ち切る」方法」

霊的な結びつきによってエネルギーを奪われたり、身体に影響が出たり、心に影響が出たりと本来不必要な影響がでたりするものだと思います。
その影響自体も私は愛する人のものだったらそれは愛の結びつきなのだと思っていたのだなぁと気付きました。
まさに自分で受け入れてるってことなんですね。

私はここ最近エネルギーに敏感になっていると感じるようになりました。
初めはただ自分の体調が悪く病気だから外出するとすぐ発作が起きるのだと思っていましたが、
特定の場所に行った時の体感を重ねるうちに、
どうも霊的に無防備に外出するからというのも影響があるらしいと判ってからはプロテクションのやり方を
教えてもらったり自分のエネルギーをクリアにするエッセンスを使ったりするようになりました。
勿論肉体的にも快適に楽しく外出できる様にする工夫をしたりと色々試行錯誤中です。

今はそうやって自分を守るという方法を模索しているところですが、最終的にはどこにいっても
誰と会ったりしても影響されない自分になる事が目標です。
そうしないと後々私がやりたいと思っていることが実践出来ないからです。

そんな目標をもってるくせに、私は愛する人との霊的繋がりは断ち切りたくないと躊躇したんです。
衝撃的でした。
自立したいと願っているのにまだ依存していたい、甘えていたいと思っているのです。
自分の覚悟とはそんなものなのか、と改めて認識しました。

話は少しそれますが私は去年末からずっと左の人差し指が痛くて朝起きると曲がらなくなってるという
現象が数ヶ月続いたことがありました。
その相談を整形外科や友人やセッションなどでしてみて、お墓参りにいく必要があると言われたので
母方のお墓まいりに1人で行って、その場を浄化しておじいちゃん達と話してきたことがあったりしました。
それから徐々に指の痛みが気付いたら無くなってきていたので、やっぱりお墓まいりに行くことが必要だったのかしら?と思っていたのですが、
その後霊視できる方のセッションを受けた時に指の痛みの話しをしたら、
それはお母さんと繋がっているからお母さんが不安なことがあるとその指が傷むんだ、
といわれたのです。
私は妙に納得して、この指が痛くなったら母が不安なことがあるサインと思えばいいんだ!
痛いけど便利じゃない!と思ったのです。

今思うと、それって霊的繋がりを愛の結びつきだと勘違いしてがっつり受け入れてるってことなんじゃ?
と今日ブログ記事を読みながら思ったのです。
確かに指が痛くなったら母が何か困ってると判るのは便利かもしれないけれど、
もしこれが霊的繋がりによるもので、指が痛くなるだけじゃなくて自分自身に他にも色々影響しているかもしれない、ってことですよね。
それは楽かもしれないけれど、お互いの為になるのか?
私が繋がっていることで私の体調等に悪影響が出たとしてそれを母が心配するのでは意味が全く無いわけで、
断ち切ることに躊躇はしたけれど、この記事を今読んだことにも意味があるのならば、
今、母とのこの霊的繋がりを断ち切る決意をしなければならないと感じました。
霊的繋がりを断ち切っても愛の絆が切れるわけではない。

そう自分に言い聞かせてそこに書いてある「祈り」を実践してみました。
すると祈りの文章を読み始めた途端私の意識が抵抗を始めたのか涙がボロボロと出始めました。
私はそれに負けるかという決意を込めて泣きながら祈り続けました。
祈りながら私はこんなに母親との繋がりが強かったんだなぁと実感したのです。
その霊的な繋がりを愛情だと思っていたんですね。
手放すのが悲しくて、悲しくて、まだ親元で甘えたいという気持ちもあって。

それでも今私はここで霊的繋がりを断ち切る、と決めたのです。

暫くして涙もとまり、祈りもおわりました。
実践してみて、まだ実感はないけど涙が出たってことはそこに霊的繋がりが存在していて、
かつそれを自分が手放したくないということだったんだな、と感じました。

少し前に霊的繋がりのコードカットが必要です、というチャネリングメッセージを受け取っていたのですが、
それはこれからセッションをしていったりする上で他人からの不必要なコードをつなげっぱなしにしないように、という意図なのかと思っていました。
勿論それもあるだろうけど、このような身内や愛する人とのコードも本来は必要ないということを今回知る機会になった気がします。
正直なところまだコードが不必要だとわかってもそれが腑に落ちるところまでいっていません。
まだそれを愛情とか絆だと思ってる部分があるみたいです。
いつか近い未来にこのことが納得できますように。

日々の気付きに感謝を込めて
posted by えみ at 16:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々の気付き